疑問の氷解
疑問解決に向けて情報の探索は続いた。
「大磯・高田保公園」を入力、あれこれ検索を試みた。
<高田保公園/大磯ホームページ>で簡単ながら彼の略歴を発見した。大磯との関連でまとめられているので、詳細な……ともいえる記述だった。
高田保は明治28年3月28日茨城県土浦町生まれ、大磯には太平洋戦争が激戦を極めていた昭和18年2月から住み始めました。
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(中略)昭和24年からは島崎藤村亡き後の町屋園(藤村邸)に住み、大磯の社会教育に力を尽くし教育委員長を務めました。昭和27年2月20日午前11時15分行年57歳の若さで亡くなりました。葬儀は地福寺で行われました。
疑問は解けた。<高田保の紹介・超近代の思想>の項の略歴の記載は誤りであった。高田保単独では見逃しやすい事項も他の人物との関連で物言いをすると今回のような見逃しがたい事例となる。
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