<青いバナナ>といえば、思い出すことがある。3か月余の間共に暮らした兵たちのことである。
アスリート飛行場が敵の軍用機によって爆撃を受けるというハプニングがあった。米軍の本格的な進攻に先立つ昭和19年2月23日のことである。
飛行場の防備は喫緊の課題となった。慌てた軍部は直ちに兵の増強を図った。高射砲陣地の構築を任務とした第25対空砲連隊が島の南部第1農場(南村ダンダン)に派遣されたのはその一環だった。周辺の民家に分宿することになり、わが家にも橋本兵曹長ら12名の海軍兵士がやってきた。
兵たちが門前に現れ、サンスベリアの道をやって来た。縁側に近づくや、みな一様にバナナの群生に目を遣った。数メートルの偽茎のいただきには、たわわに実るバナナの果実が見えていた。
山本兵長が果実の最も充実した一株を選んで名札を掲げた。2・3の兵たちが続いた。
今になって思えば、そんな些細な行為の中にも軍律厳しい軍隊につきものの階級という秩序が働いていたのだろう。子どもの理解を越えた話ではあるけれども…。
12名の兵たちがわが家に寄宿して以来6月11日の本格的な敵機来襲の日までの約3か月の間に、山本兵曹らが選んだバナナが黄色く色づくことはなかった。熱帯のバナナは常に青いのである。
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ある夕方、栗原一家が潜んでいた洞窟に全身が真っ白なミイラ男の兵が姿を見せた。全身がチンク油でテラテラと鈍く光っていた。
「高射砲陣地は艦砲射撃と重爆撃で壊滅状態でありマス。お世話になった12名のなかには戦死した者もだいぶおりマス」
森2等兵だった。
いつまでたっても黄色く色づかないバナナ。青いままのバナナ。寒冷の北支(中国の北部)から太陽の恵み豊かな南の島にやってきた12名の兵たちは、みなバナナを一度も口にすることなく島の土となってしまったのだった。
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バナナの皮の色は品種によって異なるが、一般的な黄色のバナナは収穫後10日ほど室に入れて寝かせると緑色から黄色になり、甘味を増す |
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同じ屋根の下で兵たちと起居を共にするまでにバナナを果物として食した記憶がわたしにはなかった。バナナが魅力的な存在であるらしいと意識しつつ特別な想いで頭上はるかな青いバナナに視線を向けるようになったのは兵たちの想いに感染したからかも知れなかった。
果実は父ちゃんにさえ届かないほど高いところにぶら下がっていた。
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