編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.630 2015.05.10 掲載

 
『とうよこ沿線』No5…昭和56年(1981年)5月1日

 B5判 紙数:92ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          
ママも一緒に成長しちゃうのダ 

              
主婦  村上 道子(都立大学)


 

「ママは、とうよこえんせんへいくので、げんこをかいているので、ぼくは、ようちえんのつきぐみです」――ナンノコッチャ? 次男が書いた手紙の一節――。
  長男に「学校から帰った時、ママが居なかったらお隣で待っていてね」と言えば、何処へとも聞かず、「ウン、イイヨ。沿線でしょ?」。『とうよこ沿線』は、子供たちにかなり強烈な印象を与えている。

 今までは、私の外界との関わりは、社交が一本の大きな柱。世のため(大げさな!)人のため(ちったぁ役に立っていたはず?)飛び歩いていたけど、所栓、優雅なお楽しみ。

 そのママが、真剣に何かと取り組み始めた。取材、会議、校正、ナニヤラ難しそうな言葉を偉そうに口にする。そういうママは、ちょっと眩しくて、カツコイイと思っているらしい。(あえて本音は聞かず推察にとどめちゃうけど)

 こう書くとバリバリ働いているみたい。実は、ヨチヨチ歩きの微々たるお手伝い。すべて、手とり足とり御指導願い、おまけに労働時間も不足気味。
 こんな私にでも、編集長はじめスタッフの方々は温かく優しい。役に立たなくてゴメンナサイと小さくなれば、忙しいのにアリガトウと大きく包んでくださる。子供たちの成長と共に、『沿線』に割く時間は増える予定。私も成長して、ヨチヨチからサッソーたる歩みになるカモ、シレナイ、その日を夢見
て、楽しくヨチヨチヨチ……。

 こんな参加の仕方もあります。暇がないと言わずに、ちょっとの時間を『沿線』のために、あなたのために使ってみません?



          『とうよこ沿線』との出合い

                会社員  菅間 映二
(妙蓮寺)



 

妙蓮寺駅で手渡された一冊の本が、これほどまでに私を夢中にするとは考えてもいないことだった。ただのパンフレットだと思い、何気なくページを開いたところ、最初から最後まで一気に読んでしまった。
 ワイフと二人、首を並べて読み入っている光景は他人には滑稽に見えたことだろう。それほどまでにこの本からは、ページから熱気というかムンムンとしたやる気の様なものが伝わってくるのであった。

3歳のときから29年、この土地に生活している私にとって、家と学校、家と会社、まったくありふれた単調な生活に、何か区切りがきたような、オーバーな言い方をすれば、生きがいが見つかったような、そんな出合いの雑誌であった。

それからというもの、時間があれば編集室に入りびたり、かくも有名な早食い、大食いの編集長にこづかれ、どつかれ、私の身体はますます細くなっていく一方である。

 各方面各分野の仲間たち、諸先生方の多くの善意が集まって一冊の雑誌になるということは、なんとすばらしいことであろう。何十号、いや何百号と大切に育てて行かねばと思う。
  人と人とのふれあいが、一歩一歩着実に大きくなったとき、沿線住民の真のつながりが生まれるのであろう。

 何はともあれ、参加して一番の苦労は、文章にすること。どなたか、つづり方教室≠開いてはくれないだろうか。


 

     主婦は適当に緊張する時を持とう    

                  主婦  
野崎 昭子
(日吉)


 昨年9月、たった一度泳ぎに行った綱島の「毎日スイミング」で「とうよこ沿線」というユニークな書名の本に出合った。無料だ。ますますびっくり。
 「どんな人が出しているのだろう。編集などやったことはないけれど、何か自分にも出来ることがあるかも知れない」。持ち前の好奇心がムクムク……。

 以来、有名人取材、我家の味、文芸欄担当と気がつけば仲間に入れていただいていた。じつに摩河不思議な力を持った編集長である。編集長にいわれると何でもできるような錯覚に陥ってしまう。

 手紙も電話で済ませていた私が曲りなりにも記事を書くということは、大変な苦労。今まで何となく読んでいた新聞や雑誌も「見出しの書き方」とか「人物紹介」など細かい部分にも目をとめるようになった。自分の経験から裏方の苦労がわかるようにもなった。原稿を書くのに、文は短かく簡潔に、副詞・接続詞はひらがなでとか、句読点の「、」「。」の使い方で文章が力強くもなるし、生き生きもしてくる。

 編集室に行くようになってから、時間を上手に使うようになった。人間、適当に緊張する時を持つことは、ことに主婦には必要であると思う。わが子に「勉強すんだの!」というイヤな言葉を発する余裕もなくなり、真剣な顔で原稿を書いている親を見ているせいか、子どもたちも自分からやるようになってきた。これにはびっくりした。子どもにやる気を起こさせるにはまず、母親が何かに打込むことだと知りました。


      情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)





この夏、東急百貨店本店でマンガ博覧会、81(まんぱく)が開かれる。神戸ではボートピア、四国では太陽博、と賑やかだが、近いうち、沿線博(えんぱく)ナンテいかがでしょうね、岩田さん。
(緑が丘・マンガ家・畑田国男)








本誌主催「えんせん農園」の土地が無料でお借りできます。皆で分けていただき、土地を耕しいろいろな野菜づくりをしてみませんか。ご近所の方ばかりでなく電車でこられる人のためにちょっとした農器具置場も考えています。皆で汗を流し体づくりとともにお知り合いが増す、楽しい農園になることと思います。一握りの土地からゆとりの心を持ちたい方、編集室日曜農園係0455624371へ。
(日吉・主婦・真霜優和)






どんな人が読んでくれているのか一度会って話をしてみたい。横にひろがれ、広くひろがれ。次号はどんな記事がのるだろう。どんな場所、どんな写真がのるだろう。
とうよこ沿線……グリーンの表紙に夢いっぱい。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)




駅売店へ納品に行ってきました。最初の中目黒駅で、「はじめっから納品が遅れるんじゃ、しようがないね−」と売店のオバさんに一喝された。ミジメだったヨ。皆さん、締切り日厳守しましょう。
(都立大学・主婦・藤田聡子)






3号で散号にならず、4号でも支離滅裂にならず、5号を迎えて光が差しはじめたわが『とうよこ沿線』。ふくいくと香りふりまき春爛漫。梅、桃、カトレア、桜草のような美女ぞろい。さあ、あなたもどうぞお仲間に! 
(日吉・主婦・野崎昭子)





近くのスーパーで「とうよこ沿線」を見かけました。2、3日すぎて心配で見に行ったら、ゴッソリ減っていた。私たちの心血をそそいだ本を買ってくださった皆さんに土下座したい気持ち、ホント…。
(奥沢・主婦・塚田玲子)





有名人取材の時、祐天寺在住の歌謡界の大御所、藤山一郎氏から次のようなお叱りを受けました。「仕事は百パーセントをめざさなければいけない。損得を考えて、80パーセントでは本物の仕事ではない」と…。骨身にしみました。
(菊名・学生・浅野桂子)





七福神も神様だけど、取材に協力してくださった方も、陰でささえてくださった方も、記事を読んでくださる方も私にとっては神様だ。ありがとう、ありがとう、何度も言っちゃおう。
(日吉・事務員・浜 理恵子)





今回の取材で、生まれ育った街でないという寂しさを痛感。ちょっとセンチになって田舎に帰りたくなりました。自然、両親……。おだやかさの中で、自分を見つめ直せたらと思います。
(日吉・会社員・久保島紀子)





編集室は笑いの渦。苦虫をかみつぶしている人来たれ。編集室は友情の絆。孤独な人来たれ。編集室は知識の宝庫。利口になりたい人来たれ。編集室は文化の礎。明日の日本を背負って立つ。
(大倉山・主婦・佐藤保子)





4号がやっと片づいたと思ったら、すぐに5号の〆切。他にも自分のイラストの仕事をかかえ、おまけにスキーへも行ったりして大忙し。でもこの忙しさが私の生きてる証しなのです。
(綱島・イラストレーター・板山美枝子)





大学に新入生がきました。どことなくオドオドした姿を見ると、1年前の僕を思い出します。1年なんて早いものですね。『とうよこ沿線』では僕も新入生。はじめはオドオドしてますが、よろしく! 
(大倉山・大学生・桑原芳哉)






さいの河原に石を積む如く、やってもやっても切りがないのが家事。たまった洗濯物も積ったホコリにも目をつぶって手助けを始めた新人です。でも取材から帰ると餌を待つ小鳥の如く子供たちが、腹がへったと叫んでいました。あー。
(緑が丘・主婦・内野瑠美)





今回はお風呂屋さん取材。さっそく家族に話すと主人は子供の頃の思い出話を、息子は「僕も銭湯に行こうっと…」。畑田先生のマンガをみて編集室で「このバッチリ美人がSさんよ」と話は尽きない。
(反町・主婦・室井絹子)





すぐれた黄色人種のあなたに  時がゆっくり流れている流れの中で
人は人を今ほど知らなければ  人は人を今ほど見なければ  人の見る夢はやぶれ去る
(綱島・会社員・細川達男)




沿線で一番汚かった所も、8年間で一番美しい花の丘と変えました。ここの花は日吉、原宿、各駅を始め全国千カ所に咲かせ、沿線の人達にも贈呈しています。編集室の前ですからお立寄り下さい。
(日吉花いっぱい運動本部・高尾重達)





「私の町、奥沢」のイラストマップを描くために地図や参考書を調べた。と、自分が住んでいる町なのに、知らない所がいっぱいあるのに気がついた。パリーや京都を知る前にわが町を知ろう、皆さん。
(奥沢・画家のタマゴ・島田浩子)




創刊の夏号から、秋、柊、椿、今回の橘。花木の種類はどこまで続くことだろぅ。花樹がなくなれば草花や鳥類、魚類と何千語いや何万語までも行こう。もっともその頃は、私は生きていないかな?  
(反町・会社員・山下二三雄)






大倉山梅林をもっとも深く愛している人の一人にその近くに住む、峯本 里さんという老婦人がいる。昭和48年、梅林が危く会員制のテニスコートになるところを、反対署名運動の先頭に立ってその計画を阻止した人だ。本誌を毎月お届けするのが楽しみだ。
(大倉山・会社員・井上 幹)





編集室にも誠意という春一番が吹き荒れ、すばらしい春を迎えることでしょう。有料となり内容もより一層充実。「売れてるかな?」と駅の売店をのぞくのがクセになってしまった今日この頃です。
(尾山台・画家・斉藤善貴)




定価200円となり、売れればいいなと思いつつも、果たしてここに名をつらねていないとしたら私は買うかどうか? シビアに見る目を持ち続けるとします。
(大倉山・主婦・浅野左多子)



4月は門出の多い月。『とうよこ沿線』椿≠烽ミと足早い旅立ちをした。有料という名を背に住民の方々の熱意とともに次第に大木に成長しつつある。大地に大きく根を張って年々のいろいろの花を咲かせることだろう。
(日吉・カメラマン・川田英明)





売店と本屋さんへの配布をお手伝いさせてもらったのですが、売れ行きと展示場所が気になって時々のぞきに行きます。つい手がのびて、本がよく見える位置に勝手に置きかえたりして、スイマセン。
(奥沢・主婦・永島香代子)




桜の花びらが舞い散る南風の中、フラリと編集室をたずねたその日から、明るくなごやかな雰囲気にのまれ、数分後には表紙の撮影に便乗していました。即刻、色々な仕事もおおせつかり、編集員として活動開始です。
(新丸子・ヨガ教師・古賀公子)




どのページにも誤字脱字が目立った4号――。読者の皆様に深くお詫び申し上げます。末長く残る恥と思うと、穴があったら入りたいほどです。本号こそ恥の上塗りなきように……。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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