このたび「とうよこ沿線」20周年記念誌「わが町の昔と今」第2巻「川崎中部編」を、じつに多くの地元川崎の皆様や当編編集室関係者のご協力のお陰でまとめることができました。
本書編集のスタートは6月17日。本誌74号の編集と同時進行で始めました。
出発に当たり取材範囲を行政区分にとらわれず、本誌よりも広げて「川崎中部編」とし、以下のように決めました。
中原区全域、そして南武線溝ノロ駅から南へ鹿島田駅までの南武線沿線地域、昭和12年まで日吉村だった幸区内の日吉地区、さらに東横線を利用する高津区内の地域としました。
昭和30年代にランプ生活の家
本誌『とうよこ沿線』を創刊した1980年(昭和55年)から2000年までの20年間、私たちの生活環境や生活様式は大きく変わりました。さらに20年遡って昭和30年代から昭和50年代までを掲載写真で見ると、その変化は目を見張るほどであることがお分りになると思います。
“古い写真探し”で高津区内のある家に立ち寄ると、ご主人が次々と奥から珍しい写真を出してきて説明してくださいます。なかでも私が興味を持ったのは一枚のパノラマ写真。昭和30年代の、のどかな田園風景が広がる風景、その丘の麓にポツンと一軒だけ家が建っています。
「この家にはまだ電気が来てなくて、ランプ生活でしたよ。家の周りに電線が見えないでしょ……」とご主人。
そう言えば、たしかに一本の電柱も電線もない風景写真です。昭和30年代になっても川崎市内にまだランプの家があったとは、私には新鮮な驚きでした。その写真の下に電柱が林立した住宅街の同じ場所の風景写真と見比べると、その変貌ぶりは一目瞭然です。
一目で業種や生業が分かる店名に
いま街を車で走って気になることは、やたら店名に横文字のカタカナが多いことです。
イエローハットの看板を見て、帽子屋かと思ったら意外にもタイヤ専門店。エネスト…・‥。はて、何屋かな。わが家のガス給湯器が故障し修理の車が来て初めて東京ガスの店、とその商売が分かった始末。誰でも業種や生業が分かる店名にしてもらいたいと願うのは私だけでしょうか。
本書では私たちの生活の必需品を生産・販売・サービスする営みの原点を探るため「生業」と題し、昔ながらの生業を営々と守り続けるお店の写真を載せてみました。
燃料は台所でガス台のスイッチをヒネれば出るもの、とばかり思っていた現代っ子がおりましたら、店頭に炭俵を山積みした燃料店の写真を見ていただきたいものです。
本書発行に当たり、貴重な写真やお話、大切な資料など多数お寄せいただいた方々、また、炎暑の中を古い写真を借り歩いてくださった実行委員の方、ご多忙中に巻頭文を執筆してくださった北方謙三先生、題字をお書きくださった新舟律子(旧・先名)先生、編集の各分野でご協力くださった当編集室スタッフの皆様に厚くお礼を申し上げます。
平成12年9月 本書編集発行人 岩田忠利
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