編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.557 2015.04.07 掲載 
    第20号
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第20号「松
号名 「松」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和59年(1984年)1月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「目黒区碑文谷公園の情景」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 西野裕久(学生 奥沢)/中島雅子(学生 田園調布)
特集
1. 
特集 わが街シリーズ
  学芸大学編/妙蓮寺編

2.  「学芸大学特集」

3. われらコロンブス「川崎七福神めぐり」

4. 新春特別企画 「スタッフ酷勢調査」

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

 今回は「目黒・碑文谷公園」です。

 公園の入口にこんな「碑」があります。

           ――碑文谷公園記――

この地は元碑衾町(ひぶすままち)の共有地であって園の半(なかば)を占むる池は碑文谷池又は三谷池(さんやいけ)と称(とな)へ立会川の源をなし旧幕時代は鴨池とされしと伝う。近時はもっぱら下流一帯の水田灌漑の水源として重用せられた。

池は古(いにしへ)より各々(おのおの)の部落選出の池總代により管理せられ其(その)維持は地元人々の奉仕によれり。(中略)昭和7年10月1日市域拡大に際し挙げて公園池として本市に寄附せられ新市域公園の先駆となる。

本市はこの沿革を尊重し永く保存管理し郷土の人々の芳志を後世に伝へんとす。

       昭和8年11月   東京市

目黒区内には20カ所の公園があるそうですが、碑文谷公園はその代表格。学芸大学駅から徒歩5分、東横線の車窓からも見える面積1万7千8百平方b(うち半分は池)の園内は、区民が誇る緑のオアシスです。私もこの近くに30年来住んでいて、朝夕公園を散策したり、その頃園内に放たれていた鹿とたわむれたりしたものです。

今回はまったく久しぶりにここを訪れましたが、鹿のいたあたりはこども動物広場″になっていて、犬・うさぎ・ちゃぼ・モルモットなどがいましたが、なんといっても人気のマトは、4頭いる「ポニーの引き馬」です。
  1回乗馬ひとまわり100円の自動販売機の前には、小・中学生づれのパパ・ママの行列ができていました。「ハーモニィセンター」という青少年教育団体が区に委託されて運営しているのだそうです。

指導員の一人、大久保美恵子さんは、
 「初めて馬に乗った子が、『わぁ、地震みたいだ』と言うのです。都会の子らには、動物とのふれ合いはまるでありませんからね」
  と言いました。

すばらしい広場、ユニークな公園。塚本区長さん、ポニーにニンジンの勲章でもあげていただけませんか。

 号名「松」とは…   

一口に松といっても、黒松・赤松・五葉松・大王松など多種多様。しかし、どれをとってもつねに緑を保ち、きわめて強い生命力を持っている。

人はこの強さを尊んで松を珍重しているのだろう。そういえば松竹梅はみな生命力の強い木ばかりだ。

陶芸家は新たに登り窯をつくるとき、赤松の山も買うという。それは赤松の薪でないと強い火力が得られないからだ。内に秘めた力を一気に燃焼させる――何か人の生きざまにも通じているかのように。
        (奥沢 西野裕久)



     浜離宮の都内最大級の松「三百年松」

300年前、徳川6代将軍が植えた黒松。推定樹齢300年 樹高10m 幹周り4.4m 正面の枝張り17.7m 幹からの枝張り17.3m

             撮影:八城幸子さん(港北区新吉田町)

  デスクキャップの会話

  第20号“松”デスクキャップ
 
西野裕久 (奥沢・大学生)
中島雅子 (田園調布・大学生)

  

   

    ――東京側、初の大特集

中島

東京側は神奈川側にくらべ、会員が少ないしね、随分早くからはじめたよねぇー。
西野


そう、ぼくの就戦活動とのからみもあったから、なんとか8月にある程度目度をつけておきたかったから…。
中島 それにしても長いよねぇ。4カ月もだもんね。
西野



最初に「酷勢調査」の取材をしたのが8月29日の暑い日だった。それが最後の23人目のときにはIl18日、もうすっかり寒くなっていた。
中島




私の場はね、この4カ月の間に少し変わったなって気がする。それは最初はお店に入るのが億劫だったのよ。でも、あちこち行くうちに肝がすわってきたというか、いろいろな人に会うのが楽しみになったのよ。
西野


ぼくもそうだね。だけど、商店街の人で理解のある人が数名、協力していただいたのも、大きい力だったね。


  ――
本を作るにはいろんなことが…

中島

一冊の本を作るというのは、本当にいろいろなことがあるね。

西野



本を届けに行ったらそれを投げ返されたり、「売れてないねえ」なんてイヤミを言われたり……。

中島




でも悪いことばかりじゃない。遠くからの定期購読申し込みや、白楽では1週間で50冊も1軒で売れたなんて聞くと、「ああ、多くの人に読まれているんだな」って改めて実感がわいてくる。
西野

学大特集も火がついたように普及するといいね。


  ――デスクキャップとして…

中島

私たちが東京側で初のデスクキャップだと言われて、なんだか意外な気がしたけど…。
西野



デスクキャップは全体の編集の流れをつかまないといけないから、編集室にも足しげく行かないと…。

中島

編集室で徹夜のときもあったし。午前さまなんて、連日続いたもんね。
西野


でも他のスタッフが自主的にやつてくれたお蔭でなんとかここまできたんだから、感謝しなくちゃいけないと思うね。
中島


特集の妙蓮寺グループは役割分担もうまくいって、すごく頑張ったのではないかなと思う。


<ここで編集長が突然登場>
編集長


西野くんと中島くん、21号も経験を活かしてデスクキャップやってくれよ。

西野・中島

(床に卒倒する)

  
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