編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
 NO.558 2015.04.08 掲載 
    第21号
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第21号「檜(ひのき)
号名 「檜」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和59年(1984年)3月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「菊名・錦が丘の桜」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ なし
特集
1. 
特集 わが街シリーズ 菊名編
  
2.  「あの野坂昭幸如候補を応援して」
注目の新潟3区衆議員選レポ スタッフ・安田中

3. 新連載「縁線で愛コーナー」スタート!

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

 

今回は「菊名」です。

新横浜から新幹線に乗る場合、いつも世話になるのが菊名駅のプラットホームです。あわただしい乗りかえのひととき、チラッと街を見渡すだけの、私には無縁の街でしたが、こんどここを描くため、例のように街を歩いてみました。最初、私の眼をとらえたのは、駅のすぐ真向かい、丘の高級住宅街のサクラ並木でした。

前に、「大倉山】の梅林を描いた時、こんどは沿線のどこかのサクラをとりあげたいと思っていましたが、いまその念願が果たせそうです。私は錦が丘住宅地(いい名前だなア)の一角に腰をすえることにきめました。

 いずれも樹齢50年ほどの大木ばかりで、一本一本にナンバーがついています。根の部分を残してきれいに舗装された坂道を見ると、街の人たちに愛されつづけてきた並木だと知れます。残念ながらところどころの大枝が無残に切り落とされているのは、最近の交通事情を思えば、やむをえないことかもしれない。

 昭和11年からこの街に住む錦が丘町内会長・鈴木 秀さん(76)にお話をうかがいました。

「古老の話によると、670年前、浄土宗蓮勝上人がこの地の丘に一堂を建立、菊の花が美しいところから「菊名山」と命名されたということです。四季折々の花がいっぱいで、昔から景勝の地であつたのですな。
  錦が丘は昭和初期、当時の東急電鉄が分譲した住宅地ですが、昭和9年皇太子殿下ご誕生記念事業として町内の道路にくまなく、サクラ、カエデの若木を植樹したものです」

「史上まれな寒い早春にスケッチにきて、満開のサクラを咲かせようというのですから、私もとんだ花咲かオジン″ですが、しかしすばらしい並木ですね。幾本ぐらいありますか」
 「数は減っていますが、およそ7080本というところでしょうか」

「満開時は壮観でしょうな。町内のお祭り〃があったりして……」

「いえ、静かなんです、住宅地ですから。町内には約730世帯の人が住んでいますが、みなさん美しい季節をかみしめているようですね。花の命は短かくて、といいますが、その後の長い期間が住民にとっては頭が痛いことも多いのですよ。公園緑地事務所からは、まめに除虫作業などしてくれてはいますが‥‥‥」

「よその花は美しく見えるのかもしれません。しかし会長さん、会長さんご自身が花咲爺さんに化けて、ワーッと錦が丘PRに乗りだされたらいかがでしょう、大倉山梅林の向こうをはって。このすばらしい並木をよその人たちにも見せてあげたいですね。なにより50年間咲きつづけたサクラたちへの供養にもなります」

会長さん宅前の樹は特にすばらしい大木でした。向こうに「菊名山蓮勝寺」の屋根が見えます。すばらしい代表的な日本の風景でした。

 花ちりて木の間の寺と成りにけり
                蕪村

 号名「檜」とは…   

ヒノキは火の木″で、古代には木と木をこすって火をおこしたことからこの名が出たといわれる。古語のヒとはヨシという意味で、昔からヒノキは「良い木」とされ、材は優良であった。光沢、耐水力、ねばりが強く、そのうえ、香りも放つので住宅材としては最高級と珍重された。

ちなみに日吉木材の主人・栗原さんのお話。「住宅材では木曽ヒノキが最高ですね、これを使うのは、今では10軒に1軒ですかねえ。柱材は吉野ヒノキがいい。高級品は1本(長さ3b×直径105aの角材)で1015万円ですから」。

名もなく貧しきわれわれが、檜舞台≠ノ立つことのキビしさ、ここでもまた知らされてしまった。     (岩田忠利)



樹高20〜30bにもなる檜の森

撮影:石川佐智子さん(日吉)







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