編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子

NO.550 2015.04.04 掲載 

    第14号
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第14号「橙(だいだい)
号名 「橙」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和58年(1983年)1月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「妙蓮寺山門前」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 石橋富士子(イラストレーター 横浜)
特集
1. 
第1回『とうよこ沿線』イラスト・マンガ大会  入選者発表!

2.  「お年玉クイズ大会」

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫
  今回は「妙蓮寺」です。
  私にとってこの駅は初めての下車駅ですから、旅行者のように新鮮な眼で、あちこち聞き歩き、メモをとりました。
駅のすぐそばの「妙蓮寺」は、日蓮宗池上本門寺の末寺で、近在の名刹である。
明治41年、「妙仙寺」と「蓮光寺」の二つの寺の合併寺である。
大正15年、東京横浜電鉄(東横線)の開通にあたり、寺は境内を無償で提供し、「妙蓮寺駅」が誕生した。つまり、駅は妙蓮寺の境内にある。
当主山本玄征住職は、およそ3千坪の境内を整備改造して、「明日の寺を考える」新しい構想で、住民憩いの場として広く開放している。
街には、BAR、スナックが少なく、パチンコ店は一軒もない。風月堂、不二家などの有名菓子店が目立ち、本屋が多い。
菊名池公園には、菊名池、プール、弁財天などがあり、プールサイドの「柳ノ木プロムナード」は住民の散策路。
大学数授、ジャーナリスト、商社マン、公認会計士などが多く住む。
小高い丘、富士塚からは、晴れた日には富士山が、真下には「新横浜駅」が見える。
駅の東方、徒歩10分のところに、明治22年開校の「横浜市立盲学校」がある。駅前から延々と続く黄色い点字ブロック誘道路が印象的。
  風月堂の若旦那、山岡英昭さんからこんな話を聞きました。
 「ボクはこの土地を『村みたいな街』といっているんです。自治意識が強く、環境を非常に大切にしています。うるさ型が多いといえばそれまでですが、文化的要求が根強い街と言えるでしょうね。けっして寄り合い世帯の、いい加減な甘い街じゃないですよ……」
  日蓮宗門前町といえば、葛飾区の柴又帝釈天の草タンゴ、塩センベイ、はじき焼き、フーテンの寅さん、などの下町らしき風景は見当たりませんが、ただ、山門前の通りをまっすぐ突き当たったところに、看板も出ていない、ハダカ電球ひとつ下った「駄菓子屋」をみつけました。

「主人が戦病死してから30年間、ここでやっています。店の名は書いてないけど、『五円屋』とか『ババ屋』とか子どもたちが呼んでくれます。今は、開店当時からの2代目、3代目がお客です。うちの商品は、メクリやメンコ、ガム10円といったものばかり。高級チョコも置いてはあるが、売れやしません。うちの商品の売れるのは、マンガのおかげです」

久保田 鈴さん(68)は、意外なことを言い出しました。
 「アトムとか宇宙艦とか、はやりマンガがついていなくちゃ、子どもは買いません。だから私はマンガをよく見ていますよ。
  見ているといえば、私は『とうよこ沿線』の愛読者なんです。以前、ホラ、横浜の捜真女学校の記事出ていましたでしょう。私のなつかしい母校なんです……」。
  恐れ入りました、インテリ「ババ屋」さん。そ、そ、三雲孝江さんも捜真。実は今回の表紙の女性
は、妙蓮寺に住む彼女を描いたんだけど……。
 沿線の鎌倉″とも呼んでいい、妙蓮寺の街でした。

 号名「橙」とは…   

お正月号にふさわしく、橙はお正月飾りに使われていることで知られています。先祖代代ということに関連させて、子孫が代々栄えていくようにという縁起物です。

常緑喬木で、初夏の頃、葉のつけ根に白色五弁の小花をつけ、果実は冬熟して黄色になりますが、翌年の5、6月頃にはまた緑色に戻ります。

食用としても幅広く使われており、ミカン酢や、マーマレードに。また、冬の鍋物にはつけ汁にちょっと落とすと、これが美味なのです。
  『とうよこ沿線』も、代々栄えますように……。          (久保島紀子)



   日吉本町・尾嶋家の橙

 「橙の木だけは40年ものです。、果汁は鍋物のお酢に、皮も実もジャムに、果皮はお風呂に使って重宝しています」と、家主で撮影者:尾嶋万里子さん
 

皆さまへご挨拶

14号“橙”デスクキャップ

石橋富士子(横浜・イラストレーター)

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