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私の手許に一枚の写真があります。左右に小さな門柱。向かって左の門柱に「トモエ学園初等学校・幼椎園」とあり、正面奥に白い建物があります。
屋根に「巴」の紋印。その下にギリシャ人像の彫刻。白いひさしがつき出ていて、それがトットちゃんが通った「トモエ学園」の講堂です。
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昭和16年、戦時中のトモエ学園の正門
3年後の昭和19年4月、東京大空襲で全焼。トモエ学園の情景を後世に伝える貴重な写真です。中央の男の子は、自由が丘・藤原写真場の藤原洋平さん
提供:藤原洋平さん |
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トットちゃんの遊び場、九品仏
「トモエ学園」は自由が丘の現在のスーパーストア「ピーコック」とその駐車場のあたりにありました。「ピーコック」の角をすぐ右に折れると、かつては桜並木か続いた川でしたが、今は暗渠となった遊歩道に出ます。この遊歩道がいつもトットちゃんたちの遊びの場所になっていた九品仏への道です。
九品仏には、かつて池があり、ボートか浮かんでいました。私もこの池で初めてボートをこぐことを覚えました。そこは、オタマジャクシは無論のこと、小さな魚やザリガニの宝庫でした。久し振りに訪れた池は、埋め立てられて住宅地になっていました。我が子のことを考えると、あんな池が近くにあったらと思います。子供たちの遊びと喜びの場所がどんどん失われていくのをつくづく淋しく感じます。
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昭和30年代の九品仏池
浄真寺の境内裏にあった九品仏池には小島が浮かび、その周囲をボートで遊べる、楽しい場所でした
提供:安藤嘉信さん(奥沢7丁目)
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それと同時に今の学校教育というものが、トットちゃんが通った学校のように、子供たち、各々が持っている素質を豊かに伸ばせるような所であったらどんなにいいだろうと思います。
散歩の途中の菜の花畑で、メシベとオシベのことを学ぶトットちゃんと、百科辞典の中でそれを覚える今の子供たちのことを比較してしまいます。
ハンゴウスイハンの等々力渓谷
トットちゃんたちが飯盆炊飯で行く、滝と小川の美しい等々力渓谷は、大井町線「等々力」駅から歩いて5、6分のところ。トットちゃんは、林の中でたきぎを拾い、川でお米をといでご飯を炊きました。今はそのようなことはとてもできません。自然をほどよく残して整備された今の等々力渓谷も、夏なお涼しい風が吹きぬける楽しい散歩道です。
のびのび教育の「トモエ学園」
この本は、冒頭に作者が書いているように、「第2次世界大戦が終わるちょっと前まで実際に東京にあった小学校」の話です。
当時子供たちには、将来は、お国と天皇陛下のために役立つ人間に育てようという教育が主になされていました。そんな時代の風潮の中で、専ら「個」を中心とした、のびのびとした教育をしていたこの学園のような所があったことが不思議な気もします。
電車を教室にするというそのユニークな考え方一つをとってみても、この学園の創立者であった小林宗作先生(本名金子宗作)の人柄がしのばれます。
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夢を運ぶ電車の教室 提供:藤原洋平さん |
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そしてトットちゃんが語る心楽しい数々の子供時代の話の魅力もさることながら、子を持つ親の一人としてこの本を読む時、学園の小林先生、その人が私には格別魅力的な人として映ります。
心と体にリズムを理解させる遊戯としてリトミック〃の時間を設けたこと。身体にハンディキャップを負う子を保護するだけでなく、その子自身を積極的に生かしていく教育方針など、戦前の教育にしては、ずいぶん新しいものだったに違いありません。
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