最近は出張が特に多いです。2月は28日中、21日間出張に行っていました。そんなこんなで、この原稿も移動中に書いたものです。
出張は、圧倒的に函館が多く、次いで青森、それ以外は様々です。特に全国各地でビジネスを展開しているというものではなく、函館や青森で新規展開される事業の準備と、その一環で先行事例を各地に視察に行ったり、メーカーに機器類の仕様の希望をしたりといった内容になっております。
各地に出向くと色々な物に出合います。植生や季節感が違うためか珍しい花を見つけたり、いわゆるご当地グルメで舌鼓を打ったりと、断片的な思い出がその地のイメージになっていることが多い。
東横沿線の日吉と私の育ったあざみ野は東急沿線(今では市営地下鉄沿線でもありますが、私がいる当時は日吉開通の前でした。)ですが、出張先でふと東急のことを思い出してしまうことがあります。
今回はそんなお話です。
長野県上田市で…
写真は、長野県の上田市で撮影したものです。見覚えがある外形です。以前、日吉からあざみ野まで東急に乗車する際、駅で電車到着を待っていると確かこの電車が来たことがあったと思います。日比谷線直通の車両ですね。現在は写真のように2両編成のワンマン車両となって上田市の城下町を走っているのです。

長野県上田市で見た旧日比谷線直通電車 |
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そういえば、日比谷線直通の電車の半分は当時の営団地下鉄の車両でした。当時地下ホームになった日吉駅で電車を待っていると、横浜方面の屋外の引上線に、当時まだ残存していた営団の旧型車両が止まっているのが確認できました。夏などは、まさかあれが来るのでは…と予感していると的中して、屋外の引上線で太陽の熱を存分に吸収した非冷房の旧型車両に閉口したものでした。乗り込むと扇風機がフル回転していましたが温度を下げる効果はなく、夏に湯タンポという形容がぴったりの暑さの極みに身を任せながら乗車してました。 |
また、当時の地下鉄は冷房車でも地下区間は冷房を切っておりましたので、中目黒駅から先はどうなるのだろうと興味を持ちながら、あざみ野を目的地とする私は自由が丘で降りていました。
写真の電車は冷房車だったので北千住行きの中で「当たりクジ」だった車両です。 上田で偶然出合った電車の思い出が巡ります。
道内の夜行列車の中で…
さあ、原稿を書いている場面は変わり、今は夜中の2時半。夜行列車の中です。青森から帰りの飛行機が強風で欠航となり、夜行の急行列車に乗って移動中というシーン。森駅という町と長万部駅という町の間を汽車に揺られて北上しているところです。全国駅弁大会でいうと、「いかめし」を食べ終えて「かにめし」のお替わりをしようとているところといった感じでしょうか。
東急シリーズでまたまた電車の話ですが、写真をご覧ください。

今では少なくなった夜行列車(函館駅) |
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田園都市線の車両ですね。今でこそ東武と相互直通するようになり色々な電車が走っておりますが、私が育った時分は田園都市線といえばこの車両しかありませんでした。あざみ野駅が開業したての頃は、緑の電車も走っていて、どんな電車が来るか楽しみなところもありましたが、通学で使うようになってからは、この写真にある電車の独壇場だったと思います。
小学1年生の冬、担任の先生が電車の写真を撮りに行くというので連れて行ってもらったことがありました。 |
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