編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏
NO.532 2015.3.23 掲載

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樹木 駅名の由来@ 
  出張移動“車中記”
東急の思い出


                         投稿:坂上武史(札幌市中央区在住)

                                                  


 最近は出張が特に多いです。2月は28日中、21日間出張に行っていました。そんなこんなで、この原稿も移動中に書いたものです。

 出張は、圧倒的に函館が多く、次いで青森、それ以外は様々です。特に全国各地でビジネスを展開しているというものではなく、函館や青森で新規展開される事業の準備と、その一環で先行事例を各地に視察に行ったり、メーカーに機器類の仕様の希望をしたりといった内容になっております。

 各地に出向くと色々な物に出合います。植生や季節感が違うためか珍しい花を見つけたり、いわゆるご当地グルメで舌鼓を打ったりと、断片的な思い出がその地のイメージになっていることが多い。
 東横沿線の日吉と私の育ったあざみ野は東急沿線(今では市営地下鉄沿線でもありますが、私がいる当時は日吉開通の前でした。)ですが、出張先でふと東急のことを思い出してしまうことがあります。
 今回はそんなお話です。

        長野県上田市で…

 

 写真は、長野県の上田市で撮影したものです。見覚えがある外形です。以前、日吉からあざみ野まで東急に乗車する際、駅で電車到着を待っていると確かこの電車が来たことがあったと思います。日比谷線直通の車両ですね。現在は写真のように2両編成のワンマン車両となって上田市の城下町を走っているのです。



長野県上田市で見た旧日比谷線直通電車
そういえば、日比谷線直通の電車の半分は当時の営団地下鉄の車両でした。当時地下ホームになった日吉駅で電車を待っていると、横浜方面の屋外の引上線に、当時まだ残存していた営団の旧型車両が止まっているのが確認できました。夏などは、まさかあれが来るのでは…と予感していると的中して、屋外の引上線で太陽の熱を存分に吸収した非冷房の旧型車両に閉口したものでした。乗り込むと扇風機がフル回転していましたが温度を下げる効果はなく、夏に湯タンポという形容がぴったりの暑さの極みに身を任せながら乗車してました。

 また、当時の地下鉄は冷房車でも地下区間は冷房を切っておりましたので、中目黒駅から先はどうなるのだろうと興味を持ちながら、あざみ野を目的地とする私は自由が丘で降りていました。
 写真の電車は冷房車だったので北千住行きの中で「当たりクジ」だった車両です。 上田で偶然出合った電車の思い出が巡ります。

    道内の夜行列車の中で…

 さあ、原稿を書いている場面は変わり、今は夜中の2時半。夜行列車の中です。青森から帰りの飛行機が強風で欠航となり、夜行の急行列車に乗って移動中というシーン。森駅という町と長万部駅という町の間を汽車に揺られて北上しているところです。全国駅弁大会でいうと、「いかめし」を食べ終えて「かにめし」のお替わりをしようとているところといった感じでしょうか。

   東急シリーズでまたまた電車の話ですが、写真をご覧ください。


今では少なくなった夜行列車(函館駅)
 田園都市線の車両ですね。今でこそ東武と相互直通するようになり色々な電車が走っておりますが、私が育った時分は田園都市線といえばこの車両しかありませんでした。あざみ野駅が開業したての頃は、緑の電車も走っていて、どんな電車が来るか楽しみなところもありましたが、通学で使うようになってからは、この写真にある電車の独壇場だったと思います。

  小学1年生の冬、担任の先生が電車の写真を撮りに行くというので連れて行ってもらったことがありました。
 寒い冬の朝で、当時は珍しかったカイロをクラスメイトで回しながら暖を取って、先生が渾身の一枚を撮り終えるのを待った記憶があります。
 なにしろ当時の田園都市線は1時間に5本くらいしかなかったのでチャンスが少なくけっこう時間がかかったと思います。その時の写真がずっと家に掲げていたのでよく覚えているのです。当時のあざみ野駅は上家がないところは笠石以外は砂利敷きで、電車の行き先は「つきみ野」と掲出されているのが写っていました。
 その頃の田園都市線はどんどん延伸しており、毎年のように終点がかわっていました。すずかけ台や青山一丁目、表参道なども一時的な終着駅がいくつもありました。
 写真の電車は、横浜で最もお世話になった電車です。短い編成にされ長野で見かけたものです。隣に写っているのは、小田急のロマンスカーですね。幼少の時、この先頭に乗れたらどんなに楽しいかと想像したものです。

 さてここまで書いて、夜行列車は数年前のサミット開催地である洞爺に近づく。安酒の酩酊感が眠気に変わってきました。一旦筆を休めます。


ロマンスカー(右)と並ぶ田園都市線の車両(長野駅)


            函館のバスの中で…

出張の移動中に時間があれば書いてきた今回の原稿ですが、最後は電車ではなくバスの話です。
写真は東京や川崎、横浜のどこかで撮影したと思われるかもしれませんが、函館で撮ったものです。



 東急バスがじつに多い。ここは京浜地区?



函館市電と並走する東急バス



 北海道の函館を中心に南西部で事業展開している函館バスは東急と同じバスを使用しています。グループ会社なのか、傘下なのか、おそらく東急バスの払い下げや譲渡を受けている車両と考えられます。
十数年前に函館市営バスが廃止され、函館市内の路線バスはすべて函館バスが担っており、広告車両でない限り東急バスの姿で町の中を走り回っております。市電と並走する姿も見受けられますので、当然東急沿線ではないと分かります。なかには東急コーチの車両も走っていて何だか妙な光景です。


東急沿線でよく見かける東急コーチが走ってる?


おや? 「日吉営業所前」行きバスが…

 極めつけは「日吉営業所」行きの写真です。函館市にも「日吉」という地名があり、そこに営業所を構えているからこのような行き先になってしまうのでしょう。本家の日吉には営業所が20年前くらいまであったとのことですね。(※ ハイ、綱島街道端、本誌の旧編集室のはす向かい辺りにありました。岩田)。
 今は山田や新羽に分散移管されているようですが、函館では俄に往年の「日吉営業所」行きが現在でも運行されております。

以前は東急沿線の住人だったので、出張先で東急にちなんだものを見つけるとついつい関心を持ってしまいます。写真は撮っておりませんが、熊谷や熱海でも東急の車両を見かけたことがあります。見るたびに横浜での思い出が何かしら湧いてきます。

  電車賃としてもらった小銭を小遣いにしたくて、隣の駅やバスの終点まで歩いたり、結構幼少の記憶がよみがえったりするものです。
  出張は「何かを見に行って、何かを決めてくる」ことが多く、行って見てきたからにはその業務から足を洗うことはできなくなったりと厳しい側面もあります。しかし、このような回想を呼び起こすような不意の出合いもあり、これがいつしか仕事のモチベーションの一つになって日頃の業務に励んでいるのです。


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