20年間住みなれた山手34番地から、人家もまばら、時々キツネや野ウサギが出没する淋しい神奈川の丘の上に移って、今後生徒は集まるのだろうかという不安や、教室の建築はどうなるのか、多くの心配を持って確保された一本松の地。
そこにアメリカの教会の人々の資金援肋を得て、つぎつぎに建築が進み、見事な乙女たちの城が出来上がった。
童話の中のお城のような校舎
学校の教室からは、遠くに続く麦畑のかなたに一本松が見え、その遥かかなた東京
|
|
湾の海が空に繋がり、景色は素晴しかった。
しかし荷馬車が通れるくらいの道が栗田谷の丘の尾根についているばかり、雨が降ったら泥んこで歩くことさえ困難。
カンヴアース先生や先生方がバケツに水を入れ、乾いたタオルを持って通学生を待ち受けてくださった。
白い塔のある校舎は、まるで童話の中のお城を思わせる。当時の若者は、大変憧れて、「自分の子供に女の子が出来たら、ぜひここに入れたい」と張り切って丘の上の学校を訪ねたと伝えられる。 |