編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.425 2014.12.22  掲載

        画像はクリックし拡大してご覧ください。


 隠れた名勝百選



  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:本誌No.4号名「椿」 & 本誌No.5号名「橘」

 
  取材・文:佐藤保子(大倉山)

   

 隠れた名勝百選

    師岡熊野神社(大倉山)


師岡熊野神社本殿


 東横線大倉山駅から徒歩10分、綱島街道を越えた所に、歴史の流れにひっそり建つ熊野神社がある。港北区にこんな由緒のある神社があるのかと驚く。

 ここは、今から約1250年程前、原始林におおわれていたこの辺りに神木である梛(ナギ)の木の室に全寿仙人が住んでいて、神のお告げによって開いたという古い記録にある。

  仁和元年(885年)、光孝天皇の勅使に関東随一大霊験所熊野宮≠賜わり、今日まで長い歴史を持っている古い神社である。



    1千年余続く吉凶占い、筒がゆ神事


 ここには、いのち≠フ一字ずつを頭文字にもつ片目の鯉の伝説をもつ「いの池」、一度も涸れたことのない「のの池」、不気味な物語のある「ちの池」がある。永年伝わる数々の特殊神事の中に筒がゆ≠ェある。

  1月14日の早朝寅の刻、のの池の水を茶腕一杯くみ米1升と27本のヨシで作ったすだれと椰の葉5枚を釜に入れ、境内で正月のお飾りを燃やして粥(かゆ)を炊く。


筒がゆ神事

宮司がヨシのすだれを釜の中から取り出すところ


  夕方、宮司のお祓い、祝詞の後、ヨシのすだれを粥の中から取り出し一本ずつ切り開き、ヨシの筒の中に入った米粒の量の多少により、その年の穀物の収穫、天候など27種類の吉凶を占うものである。
 昔は農民が種蒔きの参考にしたそうだ。今年の穀物の運勢はまあまあ。天候は昨年に引き続き冷夏、世の中の情勢は3分と近来にない卦が出て今年もまだまだ不景気風が吹きつけるか――。
 境内でフーフーと粥をすすり、無病息災を念じたが、村上天皇の御代から始ったこの祭事も今年で1032回を数えるそうだ。有為転変の長い歴史を境内の古木はどんな思いで眺めているのであろうか、問いかけてみたい。
 

 沿線のオアシス「市民の森」オープン


 横浜市では「東横沿線に市民の森を」という地域の人たちの願いで「熊野神社市民の森」を昨年オープンさせた。
 面積4ヘクタール、散策道約1キロ、熊野神社、杉山神社の背にひかえる鎮守の森を利用したもので標高10メートル〜40メートルの丘は大変眺めが良く、自然の地形をそのまま生かし、広場や休憩所にはベンチやテーブルを配している。
 神社にお参りし、小鳥のさえずりに耳を傾け、樹齢600年の大木の中をかいくぐり、束の間のオアシスを求めることも多忙な現代人には必要なことだろう。



イラスト:浅野佐多子




 隠れた名勝百選

 忘れられた地名、篭谷戸(九品仏)


 今回は多摩川を渡り、隠れた名勝の地として住民にもその名の由来をあまり知られていない篭谷戸(ろうやと)を訪ねてみた。

 東横線田園調布駅西口から徒歩7〜8分、または大井町線九品仏駅から南へ5〜6分の所に環八に沿って玉川浄水場がある。武蔵風土記稿によると、その辺りは「篭場(ろうば)」と呼ばれ、さらにその南一帯にある峡谷が篭谷戸と呼ばれる入江であったと記されている。
 篭場とは、篭細工(かございく)を生業とする人々の集落を意味する。



住宅に埋め尽くされた、篭細工職人の集落・篭谷戸

    篭谷戸の変遷


 篭谷戸についての地形の変遷を時代を追って紹介しよう。
 六郷用水は世田谷区、大田区を流れる農業用水であるが、戦国時代には、多摩川が六郷用水(当時はこの用水は無かった)あたりまで押し寄せていたので、現在の玉堤と田園調布4〜5丁目の一部は川底であり、河水は篭谷戸盆地に注ぎ込んで入江をなしていた。
 九品仏にその城址をとどめる奥沢城主・大平出羽の守は、多摩川上流から運ばれた武器をこの入江で陸揚げし城へ運んだと言われる。当時全くの密林地帯であったこの辺りを城主が、多くの浪人を使役して尾山村をつくりあげた。
 下って江戸時代には井伊領となり、この盆地は農民の馬捨て場となった時代もあった。自由が丘駅東横線ガード下も近世まで、馬捨て場であった。
 一転、高級住宅地に


 このような人跡稀な地も明治40年に玉川浄水場ができ、大正11年渋沢栄一翁の提案による田園都市計画が完成され、東横線が開通されると、田園調布駅を利用する富豪や文化人の豪邸が建ち並び、さしもの江戸時代の寒村もー変し最高級住宅地となったのである。

 さらにずっと時代をさかのぼれば、4〜5千年前のものと思われる貝塚が野毛、用賀、瀬田などで発見され、玉堤に沿って点在する3世紀頃の南関東最大の亀甲山古墳を始め、平将門の天慶塚古墳や宇佐神社の未発掘の八幡塚古墳など数々の見のがすことのできない名所旧蹟が豊富である。

 今はすっかり住宅に埋めつくされたこの篭谷戸の谷々を往時を偲びながら散策してみるのも我々にはかけがえのない憩いの時である。



宇佐神社





    左の宇佐神社境内にある、
     未発掘の八幡塚古墳
「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る