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この人が、77歳の河上鈴子さん。 私のオバアちゃんに相当するお歳である。そんな方がカスタネットの伴奏に合わせて、あれほど動きの激しいスペイン舞踊を……。 スポーツが大の苦手の私には、まったくの脅威、お化け≠ンたい。
河上鈴子(すずこ)さん 現代舞踊家。1,902年(明治35年)東京生まれ、77歳。 日本のスペイン舞踊の草分け。いまも現役として舞台で活躍、現代舞踊協会会長など多忙な日々を送る。 世田谷区奥沢8丁目在住。
自動車免許も、脚に保険も、マニュキアも、前髪のカールも…、日本の先駆者 東京生まれの河上さんは4歳で上海に渡る。その時、バレエを習いはじめ、最初はオーストラリア人、つぎにロシア人、どちらも世界で一流の先生についた。同時にピアノとバイオリンもお稽古。当時の彼女は「本当はピアニストになりたかったの」だったが、それを断念したのは「この手″の大きさで世界を舞台にするには小さすぎる」。 そんな彼女が自分で気がついたときには、すでにスペイン舞踊家の道を歩いていた。それも16歳の頃、「上海にきたスペイン人が踊りを教えてくれた」から。 ある時、彼女が舞台でサロメ″を踊った。ところが、それが大当り――。ついに、アメリカの超一流の劇場でスターとして迎えられることとなった。当時、大学出の月給が100ドル、彼女は破格のギャラ週給350ドル。しかもそれが、2年8カ月もつづいた。 日本には男性ダンサーがいない。そこで、ソロで踊れるスペイン舞踊に本格的に取り組もう、と帰国した。かつて、彼女は「天才少女」と騒がれたそうだが、そのことに触れ、「天才なんていませんよ。結局、努力の積み重ねしかないんです」とキッパリ。 聞けば、50年前に日本で初めて脚に保険を掛けた人もこの人。またマニキュアを塗ったのも、自動車免許を取ったのも、前髪をカールしたのも、どれも最初の人だった。なぜ彼女ばかりが、そうも先駆者に、 「南米で闘牛を見たの。その時、私の目の前で闘牛士が牛に殺されちゃったのよ。あの場面には、私はびっくり。闘牛って、命がけなんですねえ」。 以来、踊りはもちろん、すべてのことに命がけ″でやってきたら、「あのように日本で最初の女性に」なっていたという。 踊りは、あと10年…
脇目もふらず、モダンバレエひと筋に歩む河上さん、若い頃は親戚からも「河原乞食」と罵られてきた。それでも踊りが捨てられず、ついに愛する夫とも離婚した。 「だってそうでしょう。踊りは私にとって、何十年も積み重ねてきた無形の財産≠ナすもの。いくらお金を積んでも買えませんものねえ」。 いまでもー人暮らし。その孤独感は、 「淋しいと思ったことないの。だって好きなことをして生きてきたし、これからも、やりたいことがいっぱいあるんですもの。 時間があれば、乗馬、水泳、ゴルフ……したいことだらけ。でも、あと10年は踊りだけの生活でしょうねえ。私って、本当に幸せ者です」 と、当年77歳の女性は、目を輝かせ、少女のような笑みを浮かべる。