
昭和61年12月31日21時15分、ロンドンキャップをかぶった編集長をはじめ参加者が次々に渋谷駅ハチ公前に集合した。
その後はだれも現れず、この7人がスタートメンバーとなった。岩田大助がふと、「きょうは260人参加すると言ったから来たのに…!とぐちをこぼした。
出発時間の21時30分になった。
編集長の「もう行こう!」の一言で、出発することになり、各自がゼッケンを付け、証拠として記念撮影をすることになった。
編集長と阿部さん以外の若者全員の「こんな人がいっぱいいるハチ公前は止めて、モヤイ像前で撮ろう」という文句は却下され、「ここは渋谷のシンボル!」との編集長の一言でハチ公前になった。
撮影後、素早くそこを離れ、ゴールの山下公園を一路めざして、ナイトウォークが始まった。というよりは始まってしまった! 岩田大助
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環状8号線をクロスすると夜景もきれいな田園調布駅、23時45分到着。
そこで、奇遇とも言うべきか、いつも本誌がお世話になっている、都立大・たい焼き富士屋のご主人平沼さんと出会った。いつも笑顔の平沼さんも多摩川園まで一緒に歩くことになった。
手元の時計の長針と短針が重なった時であった。十字架だけがライトアップされている田園調布教会からミサの始まる鐘が鳴り始める。「カラーン、カラーン……」
誰が除夜の鐘でなく、教会の鐘の音を聞くと考えていただろうか? それも田園調布で。そんな余韻が消えぬうちに多摩川園駅到着。
ここで別れる平沼さんの「この先、頑張って下さい」との言葉にはこの先の行程の長さをあらためて悟り、気が遠くなる思いがしたのだった。
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