編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.357 2014.11.05  掲載 

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     渋谷〜山下公園踏破、
第1回ナイトウォーク



   とうよこ沿線ナイトウォークが始まってしまった!



 昭和61年12月31日21時15分、ロンドンキャップをかぶった編集長をはじめ参加者が次々に渋谷駅ハチ公前に集合した。

 その後はだれも現れず、この7人がスタートメンバーとなった。岩田大助がふと、「きょうは260人参加すると言ったから来たのに…!とぐちをこぼした。
 出発時間の21時30分になった。

 編集長の「もう行こう!」の一言で、出発することになり、各自がゼッケンを付け、証拠として記念撮影をすることになった。
 編集長と阿部さん以外の若者全員の「こんな人がいっぱいいるハチ公前は止めて、モヤイ像前で撮ろう」という文句は却下され、「ここは渋谷のシンボル!」との編集長の一言でハチ公前になった。

 撮影後、素早くそこを離れ、ゴールの山下公園を一路めざして、ナイトウォークが始まった。というよりは始まってしまった! 
                       岩田大助




 環状8号線をクロスすると夜景もきれいな田園調布駅、2345分到着。
 そこで、奇遇とも言うべきか、いつも本誌がお世話になっている、都立大・たい焼き富士屋のご主人平沼さんと出会
った。いつも笑顔の平沼さんも多摩川園まで一緒に歩くことになった。

 手元の時計の長針と短針が重なった時であった。十字架だけがライトアップされている田園調布教会からミサの始まる鐘が鳴り始める。「カラーン、カラーン……」

 誰が除夜の鐘でなく、教会の鐘の音を聞くと考えていただろうか? それも田園調布で。そんな余韻が消えぬうちに多摩川園駅到着。
 ここで別れる平沼さんの「この先、頑張って下さい」との言葉にはこの先の行程の長さをあらためて悟り、気が遠くなる思いがしたのだった。





若者二人が日吉でギブアップ







やりました! 東横沿線完歩


1987年1月1日午前5時40分。山下公園到着







  歩き終えて


●常々、機会があれば、渋谷〜桜木町間を完歩してみたいと思っていました。今回、良い機会だったので、年齢もかえりみずに参加させて貰いました。落伍せずにほっとしました。 阿部信彦

●今回、渋谷から東横沿線を歩いてみて予想したよりも大変だったけれど、とても良い経験をしたと思います。最後に一言「疲れた〜」。石田一茂

●祐天寺から学芸大学まで1駅の「おつきあい参加」のつもりだったのに、なぜか日吉まで。リタイアの結果は大ヒンシュク。「脱落者」「裏切者」のレッテルを貼られ、あぁ惨め…。一色隆徳

●ハチ公前では7人しか来なかった。200人ぐらい集まると期待していたのではめられたなと思った。白楽あたりからは、とにかく眠くて、必死に歩いた。一生の思い出だね。   岩田大助

●この「とうよこ沿線ウォークラリー」に参加する前は、本当に完歩できるだろうか、疲れるだろうなぁと、あまり参加したくなかったが、終わってみると実にいい思い出になった。大城達雄

●完歩はしたものの、あの距離と朝の冷えで足はガクガク。編集長の「来年からは恒例行事にしよう」という意味深い言葉が僕の脳裏に焼きついたことはいうまでもありません。 神蔵雅之

●山下公園での初日の出って、もっと盛り上がると思ってたんです。皆、拍手もしないのね。来年は主催者側にまわり、歩き苦しむ人の姿を車の中からながめていたいものです。斉藤かすみ

●田園調布で新年を迎え、横浜山下公園で初日の出を拝む。多摩川を渡るとき、横浜駅が見えたときの感動は歩いた人にしかわからない。最高です。次回はあなたもどうですか? 高橋園子

●歩くといえば自宅から編集室までの数秒と編集室内をウロチョロし、外回りは専ら車。一日何歩、歩くだろう? そんな徒歩を忘れた老体が、渋谷から日吉まで歩いた! 快挙だ!  編集長・岩田忠利


  <最後にひと言>


 今回、実際に渋谷〜桜木町間を歩いて感じたことは交通機関のありがたさではなかっただろうか。
 東横線なら190円、各停45分、急行35分で着いてしまうところを8時間歩き続けたわけだ。この8時間が長いか短かいかは、実際に歩いた人しかわからないハズである。しかし、この本誌4ページに凝縮された8時間は長くて短い。

 それは、出発前の不安を歩き通した後の充実感に変える何かをもっていたからだ! 毎日、通勤・通学等で利用している東横線を一度、沿線から自らの足、目、耳で確かめてはどうだろうか? 新しい発見、出会いがあるだろう。神蔵雅之

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