編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
    NO.338 2014.11.01  掲載  

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樹木

民話作家 萩坂 昇(日本民話の会会員。川崎市中原区中丸子) 


 東京の渋谷の道玄坂は、渋谷区の中心的な繁華街になっているが、昔、むかしは、木がうっそうとしげり、昼なお暗く、夜ともなるとひとっこ一人通らぬところだったそうな。

 『江戸名所図会』には「道玄あるいは道元に作る。里諺に云、大和田氏道玄は和田義盛が一族なり、建暦
3年(12135月、和田一族滅亡す。其残党此所の窟中に隠れ住て山賊を業とす。故に道玄坂といふなり……」
と、記されている。

 とにかく怖いところだったようだ。そして「のっペらぼう」の怪談が語り伝えられている。


  むかし、雨のそぼ降る夜、ひとりの男が道玄坂をのぼってくると、向うから提灯が一つゆらゆらとこちらへむかってくるのだった。
 <こんな夜に誰だべ。山賊は、提灯なぞつけてくるはずがねえ>と、男は、木の陰に隠れて通り過ぎるのを待っていると、なんと、提灯は、男のいる木の前で止まって、

 「わたしの顔をみてください」
と、提灯を顔のところへ持っていった。

 キヤーッ!
 男は、気を失って腰をぬかしてしまった。

 まっ白い女の顔は、目も鼻も口もないのっペらぼうで、細い首をくる−り、くるり−とまわしてみせたのだ。そして、暗がりに消えた。

 しばらくして我に返った男は、息せききって坂を下り夜なきそば屋の屋台にとびこんだ。

 「お、おやじ、い、いっぺえくれ」
 冷や酒をいっきにのむと、もういっペえくれといった。

 「何かあったのですか。顔色も悪いし、ふるえていなさるじゃないかね」

 そば屋のおやじは、うつむきながら酒をついでつぶやいた。
 「こ、これが怖がらずにいられるかい」と、男は、道玄坂ですれちがった白い女のことを話した。

 「そうかね。そんな女が道玄坂にいましたかね。その女は、こんな顔ではなかったかね」
と、そば屋のおやじは、ろうそく台の近くに顔を寄せた。

 ヒ、ヒェ−ッ!


 男は、持っていた盃を落とした。

 そば屋のおやじの顔は、目も鼻も口もないのっペらぼうだった。

 男は、息せききってとんで帰り、うちにとびこむと、水をガップガップとのんでいた。

 「誰だと思ったらおまえさんじゃないの。また、飲んできたんだね。ろくに稼ぎもないのに飲んだくれて……。あれだけ酒をやめると約束したのに。それでも江戸っ子かね」
 暗い土間に女房がつっ立ってぼやいた。


 「こ、これが飲まずにいられるか。おら、道玄坂と坂下の夜なきそば屋でお化けか幽霊にあってきたんだ。怖いのなんの……」
 おやじは、のっペらぼうの話をした。

 「そうですか。そんな人が二人もいましたか。その顔は、こんな顔だったでしょう」
 女房は、ニ−ッと笑って顔を行燈のそばに近づけた。
 「ヒェ−ッ。お、おまえもか!」


 おやじは、女房ののっペらぼうを見てひっくりかえってしまった。

 それから、道玄坂には、死ぬまで行かなかつたと。道玄坂のむかし、むかしだよ。



イラスト:石原辰也(学生 反町)








  昭和26年、一面の焼け野から復興してきた渋谷駅前と道玄坂

 
車も通行人も少なく、街並みは平屋や2階建てが多い。右上の道玄坂のY字路の分岐点が現在の109
 提供:菅野今朝吉さん(渋谷1丁目)
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