田園調布育ての親、渋沢秀雄さんとは…
司会 山口さんは、なにしろ各界の名士が住む町、田園調布の主みたいな方、いろんな人との思い出がおありでしょう。なかでも田園調布の町づくりの功労者・渋沢秀雄さんとは親しかったのですね。
山口 あの方は、数年前亡くなってますが、父親に渋沢栄一という明治・大正時代の日本の経済基盤をつくった大実業家を持ち、その御曹子なのに、たいへん気さくな人でしたね。
自分でも自分を楽天家で牛″みたいな人間だと言っていましたよ。昔のことを何度も繰り返し書いては、それで食べているんだから、って…(※ 氏は随筆家としても有名)。
また多才でしたね。絵も油絵を描いては展覧会をやる。すると渋沢さんの信者みたいな人がたくさん見にきて、みんな売れちゃうんですね。その売上をあの画伯は、方方(ほうぼう)に寄付しちゃうんですよ。福祉事務所とか町会とかに…。
俳句もおやりになる。田園調布の家は渋亭≠ニいう茶室にして、徳川夢声・宮田重雄・藤原義江など有名文化人を集めては句会を開いたり…。奥様の、こと子さんが小唄の師匠であったことから、長唄・小唄・清元など邦楽全般をたしなまれる。あるとき私に「わが家は夫婦共遊び、その家元だよ」。いつも奥さんとご一緒に邦楽を楽しんでいらっしゃったようですよ。
藤田 渋沢先生がおはぎが好きだとおっしゃったので、お届けしたことがあるんですよ。そのとき、小粋な奥様が現れて三味線を弾いてくださった。

晩年91歳の渋沢秀雄
昔の写真借用に伺った折、岩田忠利撮影 |
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税金の二重払い
山口 あの方はいろんなことをよく覚えているんです。徒然草の一節を朗々と述べてみたり記憶力抜群の人。
しかし、こと金銭については、まるっきしダメで、税金を2度払ったことも覚えていないんですから……。「あの税金、以前あなたお払いになったんでは?」とぼくが訊くと、「また催促がきたから、払ってきた」という。最初の領収書をポケットに入れたまま、忘れちゃてるんですからねえ。財産家の渋沢家のこと、多額の税金なのに…。ほんとに金銭には淡白な人でした。
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