編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
編集:岩田忠利      NO.255 2014.9.29  掲載 

 すばらしい田舎 白楽
六角橋

    スポーツアナ・島 碩弥(しま ひろみ


  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和598年3月1日発行本誌No.21 号名「檜」
   


     
 勝ちゃんが帰って来るワケ


 
勝っちゃんはいま八丈島でホテルのマネージャーをしている。年に3回は100キロを超す巨体を皆の前に現わす。そして、六角橋の川美せんべい本店の手焼きのせんべいをたっぷり買いこんで、また島へ戻っていく。ホテルの人や近所に配るためではない。ほっと一息ついたときに、自分がポリポリかじるためのせんべいである。

 「故郷の味がするんだ。島にだって形はあまり変わらない草加せんべいもあるサ。でもなァ、どこか違うんだなァ。子供の頃からなじんだ味ではないんだなァ。だから、なくなると飛行機に乗りたくなるんだなァ」
 勝っちゃんの本名は彬本勝司(46)さん。生まれ、育ったのは白楽・六角橋生活圏(こんな言葉はないかも知れないが、ニュアンスをくみとって)の白幡である。鶴見工業の生徒だった昭和29年、甲子園大会に出場して2番を打ち、1試合3本の二塁打を打った記録はいまでも破られていない強打者であった。

 電話のひとつもかけて現金書留で送金すればことは足りるし、経費だってグっと安くて済むのに、わざわざ大金をかけて飛んでくるのは、もちろんワケありだ。
 「仲見世を歩くだけで楽しいんだヨ。オレはデッかいから、すれ違えないほど混んでる路地を、身体をへこませたり斜めにしたりして歩いていると、誰かに必ず会う。楽しいネェ。ガキの頃に10円玉を握りしめて歩いた記憶がよみがえってくるヨ」

  去年の暮れには、おかあさんの葬式のために帰ってきた。あわただしくトンボ帰りをするときに、勝っちゃんは言った。
 「オレ、いつも思うけど、白楽かいわいって変わらないからいいんだなァ。島に行って10年になるけど、いつも同じ姿、格好でオレを待っててくれるもんなァ。オレ、島の人にいつも胸を張るんだヨ。オレのすばらしい田舎は、横浜の白楽だってネ。はじめは変な顔をされるヨ。六角橋の商店街のことは、むかし市電の終点があったから知ってる人は多いし、神奈川大学に息子を進学させている人からは、あそこは賑やかな田舎という感じではないと否定されるけど、田んぼがなきゃァ田舎じゃないってもんじゃァないでしょう、というんだ。もちろん、都会さ。でもギスギスした人間関係の想像が先に立つ、いわゆる都会じゃないってことを、オレ、説明するんだよナ。じゃア横浜の下町ですネって納得してくれてるヨ」


     「すぐ溶け込めたのよ」とリチャード


 
リチャードは、アメリカ人である。いま相模原に住んでいて、日本人の奥さんと二人の子供と、すっかり日本に慣れきった生活を送っている。シアトルに近い学校を卒業して、縁あって日本に来た。はじめ、白幡池の近くの高台のマンションに、先輩といっしょに住んだ。職業が英語講師という関係で、富山に行ったり、仙台に転勤したり、茨城でも生活した。いまも定期的に白楽へ顔を出す。

 「オクサンと初めて知り合ったからということもあるけど、ほかの町との違いを言えといわれても、ボクの日本語では言えないけど、好きなのヨ。すぐ溶けこめたのヨ」

 いまはすっかり流暢になった日本語も、来日当時はたどたどしいものであった。白楽に来て2日目、リチャードは初めて、スナックに入った。それがアメリカの流儀で千円札を一枚出して、「ビール」 と言った。そして、ただ、ただ、飲んだ。話しかけられた。日本語であった。なんのことだかわからないが、ひとりぼっちで飲んでいたリチャードは、警戒心は持たなかった。友達になってくれそうな気持ちだけは伝わってきたのである。精一杯返事はするが、でも通じない。「プリーズ」やがてビールを差し出された。「アリガトウ」このくらいの日本語は出来る。それをきっかけに、リチャードの周囲に、輪が出来た。

 「うれしかったヨ。はじめ白楽の町に来ていなかったら、日本でずっと生活しようと思わなかったかも知れないネ。大リーグの話、シスコやロスの町の話、身ぶり手ぶりで、日本語と英語のチャンボン(という言葉も覚えた)で、会話が出来るようになるのに1年もかからなかったからネ」
 巨人に、ジョンソンという外人選手がいた頃だから、いまから9年ほど前のこどである。

 「スーパーは別にして、お店に買いものに行っても、お店のオジサンやオバサンが、一生懸命、ボクの下手な日本語をわかろうと、忙しいのに応待してくれたのも、良い思い出ヨ。あれから、日本のあちこちに住んでみてボクの日本語は上手になっているのに、白楽ほど親切な人の多いところはなかったヨ。まるで、ワシントン州のボクの偉大な田舎みたいだヨ」



白楽駅ホームで

                   撮影:込宮 誠(六角橋)

ラジオ関東(現ラジオ日本〉開局以来、主に野球中継アナとして活躍。島流の軽妙な語り口、豊富な野球知識は放送界随一との定評あり。鳥取県出身。六角橋は昭和37年から在住。



     だから離れられない…白楽生活圏


 
勝っちゃんは、元サムライというタイプの日本人、リチャードは紅毛碧眼のアメリカ人だが、同じすばらしい田舎≠ニいう表現を用いた。

 駅から10分程の団地住まいは手狭で不便だが、わたしが白楽生活圏から離れたくない気持ちが強いのは、住んでいるとなかなか気づかなかったが、このすばらしい田舎≠フせいなのである。



イラスト:山影昌子(白楽)

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