編集支援:阿部匡宏
投稿:益田 勲(横浜市神奈川区神之木町)  編集:岩田忠利   NO.240 2014.9.22  掲載 

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樹木
 
駅名の由来@
 
 
 戦争遺構「陸軍登戸研究所」



 旧帝国陸軍の諜報、謀略、宣伝の研究所が、明治大学生田キャンパスの中にあります。日吉の地下壕のように、大学が保存している戦争遺構です。

 生田の駅から徒歩15分くらいですが、西門からキャンパスに入ると急な坂道が続きます。学生さんたちは苦もなく、登っていきます。 

 家内と二人、大汗をかきながら、でも遺構に会える期待感で登り切りました。



 
 戦争は、残酷なものを造ります

   陸軍登戸研究所――川崎市多摩区東三田


 
現在の明治大学生田キャンパスは、かつて、帝国陸軍の登戸研究所だったところです。ここでは、防諜・諜報・謀略(破壊・撹乱活動・暗殺)・宣伝(人心誘導)を研究していました。

 平たく言うと、忍者や007のスパイのアイテムをつくっていました。陸軍中野学校の卒業生が、必要とした道具です。

 なかでも、人心誘導は近代戦略の要となるもので、ナチス・ドイツの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスは、「プロパガンダの天才」と呼ばれ、国民や敵に対して情報戦を仕掛け、士気を高めたり、誤誘導したりと、大きな成果を上げます。当時の日本としては、そのような宣伝技術が、重要で必要なものだという、進んだ考え方をしていました。

 さて、1937(昭和12)年11月に「陸軍科学研究所登戸実験場」として開設されますが、1942年(昭和17年)10月には、「第九陸軍技術研究所」となりました。電波兵器・無線機器・宣伝機器などを開発する技術者が集められました。敷地11万坪、建物100棟余、技術将校などの所員250名、一般の雇員・工員750名ほどの大所帯でした。

 その後、1950(昭和25)に登戸研究所の敷地の半分を、明治大学が建物ごと取得して、生田キャンパスとしました。



明治大学生田キャンパス配置図

2014年8月14日入手:東側に専修大学、生田緑地がある



なんとABC兵器のうち、B(生物兵器)C(化学兵器)までもが、ここで研究されていました。
  ABC兵器:atomic, biological and chemical weaponsの頭文字をとって付けられた。

  戦争は残酷なものだなあと思うのは、こういう開発を見せられた時です。

  この研究所で開発した風船爆弾(ふ号兵器)などは、ネーミングのせいか、おっとりと聞こえますが、風船が落ちてきても爆発、撃ち落としても爆発、やはり怖い代物です。

  他にも、侵攻しようとする国の偽札や、暗殺用の武器、精細写真術(そう言えば、当サイト「鬼人粋人伝」登場の羽根田武夫さんは、藤沢の海軍電波兵器測定学校で、写真技術の教官をされていたそうですが、ここの研究所には教えに来なかったのか、興味をそそられます)、電波兵器が展示されています。

  明治大学の資料館が注目されている点は、旧日本軍の研究施設をそのまま保存していること、あまり公にされない秘密戦の資料が保管されていることなどです。
 現に見学に行った日にも、海外のお客さんが来ており、教授と院生と思しき方々が、施設の来歴について流暢な外国語で対応されていました。




         風船爆弾

 201414日撮影:資料館では当時の研究成果を模型で見せています
 ※明治大学平和教育登戸研究所資料館蔵



   現存する施設


 
この資料館は、数年前までは設立当初からの木造の建物でしたが、老朽化し危険なため、新しいものになりました。5号棟、26号棟は、数年前に取り壊したので、現存していません。
   


        弾薬庫跡
2014年8月14日撮影:入口の後ろが山になっている


 資料館の入り口斜め前にある地下壕倉庫は、「弾薬庫跡」と言われています。私の子供の頃には、このような防空壕跡に人が住んでいました。





          倉庫跡

2014年8月14日撮影:丘の下にひっそり隠れています

明治大学の第1号舎1号館裏手の、菜園の麓に地下壕があります。今は園芸学部の物置として使われているようです。「花卉園芸」と書かれています。


        消火栓跡
2014年8月14日撮影:もう一つの消火栓は,半分地中に埋まっています


消火栓は、構内には相当な数があったと聞きますが、今現在、判っているのは2つです。消火栓の文字の上に、帝国陸軍を表す星形が付いています。




     動物慰霊碑
2014年8月14日撮影:正門の裏にあり、目立たないので探しづらい


 動物慰霊碑です。実験に使われた動物たちの霊を慰めるために、非常に立派な石碑を建てています。実験のために死なせた動物たちに、愛情を感じていたのかもしれません。

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