「金沢より、ひどい田舎やないかいね」
「ヨコハマって、どんな、にぎやかなところかと思ってたら、金沢よりひどい田舎やないかいね」。これが戦時中、故郷から出てきた、いまは亡き姉の第一声であった。なるほど北陸の城下町の街中にくらべたら、ここ妙蓮寺一帯は田舎にちがいない。
そのころの妙蓮寺は、いまよりずっと緑も多かったし、わが町の裏には畠がひろがり、谷の小川には、メダカが泳いでいたからである。
おかげで港都ヨコハマの名誉をばん回するために、東横線にのって、どこかにぎやかなところ、――といっても銀座や浅草と一味ちがった――中華街や山下公園へ案内せねばならなくなった。
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菊名池畔を散策する越村信三郎先生
横浜国立大学名誉教授・元学長(経済学博士)。港北区富士塚在住
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東横沿線で妙蓮寺ほど昔の面影を残す町は少ないのでは・・・
さいきんでも、久しぶりに訪ねてきた池袋の義妹は、あたりを見廻して、「空気がおいしいわネ」といった。わが家の料理をほめないで空気をほめたのである。
ヨコハマに出てきてから53年、妙蓮寺に住みついてから40年以上になる。むかしは、菊名池もズッ広く、アシのしげりから湧く自然の水を満たされ、フナやコイもスイスイ泳いでいた。南の端にはボート屋さんがあって、日曜などには家族やアベックで漕ぐオールも、静中に動の趣をそえていたものだ。
とうよこ沿線の町々で、妙蓮寺ほど昔の面影をとどめているところは、すくないのではなかろうか、駅前の風月堂も、亀が屋薬局も、さのや文具店も、店の構えは、いくらか近代風になったとはいえ、昔のままに存在している。商売がら時おり立ちよる妙蓮寺書房も石堂書店も、店主は相変らず健在である。飯田屋、八百屋のおやじさんも、山田屋、加藤商店の主人たちも町で会えば、えしゃくをする。
駅前を南北に走る綱島街道は、一方交通でチェックされているとはいえ、横行する道路になりはててしまった。しかし、それを避けて協和銀行わきから二十数歩西にそれると、菊名公園のプロムナードに出る。弁財天から北にかけて伸びるプールサイドに、いまは大きくなったヤナギの道がつづく。水道みちを突っ切って、郵便局裏から200メートルばかり伸びる遊歩道に出ると、そこには高々とそびえるイチョーとケヤキの大木がある。ヤナギと花壇につつまれた菊名池を左にみながら、この道を歩むと、ルソーの絵の中の人になった心地がする。
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外国では、街の人は遊歩道をだいじにしている。ハイデルベルグの「哲学者の道」などは、花壇に彩られた芝生の連続で、ネッカー河を見おろしながら、ここを歩むと、おのずから新カント派の哲理が開けてくる。
菊名公園のプロムナードは、あれほど広くではないが、都会のけん騒に悩まされた人に、やすらぎを与ることは確かだ。私も大学の講義につかれてこの公園を通ると、かねてから疑問に思っていた、いくつかの学問上の定理と方程式が解けるから、ふしぎである。
わが家がある、富士塚町内の今昔
わが家のある富士塚は、文字どおり、富士山の見える小高い丘で、その項点に、コブのような小さい塚が盛りあがっていた。戦争中には、その上に高射砲が1台おかれて、富士山から東京に直行するB29を監視していた。
おかげで、その横を散歩していたとき、アメリカの艦載機の銃撃を受け、たんぼ道にうつ伏せになって、あやうく命びろいした思い出もある。
しかし、いまはすっかり開発され、塚は平地に変わって住宅が建ち、防空ごうのあった裏の畑も幼稚園になった。丘に上り、八幡神社に行くと、天気のいい日にはいまでも富士山がみえる。しかしその真下には新横浜駅ができ、犬を連れて娘といっしょに散歩した小道や草むらには、ホテルや会社の寮が建ちならんでしまった。
まだ緑は残されている。だがその命運は風前のともしびである。家のすぐ下にそびえていた数本のケヤキの大木が、一日のうちに切り倒され、その上に庭のない建て売り住宅がキノコのようにギッチリ並んで、軒々にケバケバしい広告の旗が立てられたのは、おどろきであった。
菊名駅裏の台地にも、広い竹やぶがあり、朝晩、スズメの大群がさえずっていたのに、ブルドーザーが駆け回って、あっという間にヒナ壇式の住宅地に化けてしまった。菊名の風物詩が一つ消えたのである。
地価の暴騰もすごい。40年前、わが家の土地を借りたとき、地代はわずか坪7銭であった。 戦後、地主さんが亡くなって、土地を買ってくれと言われたときは坪500円であった。その2、3年後に、重い腰を上げて買ったときにはなんと坪2500円。5倍の騰貴である。そしていまは、買ったときにくらべて200倍の暴騰だ。こんなテンポで値上りがつづいていくとしたら、100坪にみたぬわが家のせまい土地は、兆円台か、京円台にのせるのもそう遠くはないだろう。ヘンリー・ジョージの提案に耳をかたむける日は近いようだ。
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イラストマップ:板山美枝子(綱島) |
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これから期待すること
妙蓮寺の街は、もっと、もっと近代化したほうがいい。それとともに住宅地は、いつまでも牧歌的であってほしい。
この矛盾した願いに、『とうよこ沿線』は、どこまで答えてくれるか。そのためには沿線に住む人たちが、手をつないで力を合わせなければなるまい。
この雑誌が、これらの人たちの意見のコーラスとエコーの場であることを希望する。
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