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編集:岩田忠利    NO.198 2014.9.04 掲載

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   ってみた、逢ってみたらぎの

            横浜七福神



   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和56年5月1日発行本誌No.5 号名「橘」

   
取材・文 :浜 理恵子(日吉)  取材:細川達男新吉田)  写真:三戸田英文(元住吉)


 これから一緒に巡拝する七福神は、昭和40年、横浜港北七福神として発足したのだから、歴史は比較的浅い。その後、52年に改称して横浜七福神となり、現在に至っている。それぞれのお寺は風格あり、由緒ありで、景色もよい。

所要時間も6時間位で回れそうだし、なんたって、我々の生活に密着した神様たちだ。是非ともチャレンジしてほしい。準備が整ったら出発だ。



さぁ、細川のオジさんと出発だ〜!


 寿老神の金蔵寺 (横浜市港北区日吉本町)


 
まずは日吉の金蔵寺。西口の普通部通りを小学校の角で曲って坂を下ると、寿老神のおわす寺。

 寿老神のご加護を授ければ、長寿の秘訣のたぐいは、もはや不要だ。住職は内田さん。珍しい宝物を見せていただいた。
17世紀のキリシタン禁止令の巻物、御朱印、それに、なんとバナナの葉に書かかれた、サンスクリット語の経、等々。他に、隠れキリシタンの石灯籠も、関東地方では珍しいものだ。

 5月1日から
18日までは、13年に1度のご本尊のご開帳があるから。興味のある君なら、見のがす手はないと思うよ。

 (金蔵寺・住職内田大亮氏。港北区日吉本町2116 TEL.0455612037)



明治初期までは、今の駒林小学校の前身だった金蔵寺。住職の内田さんは、当時の教科書をご説明



 布袋尊の東照寺 (横浜市港北区綱島西)


 
綱島駅改札口を出て右の西口へ2〜3分、ここは東照寺の境内だ。当寺は以前、本誌で坐禅会が紹介されたこともあるから、知っている人も多いはず。

 住職は程木さん。おわすご本尊は布袋尊で、大量を表現し、堪忍と和合を教えて下さるそうだ。
 程木さんは、禅僧である布袋様のお話をするには、自分も坐禅を、と考え、今では立派々坐禅堂を構えるようになったんだ。

 行動派程木さんは、ほかにも区役所関係の仕事で郷土史を調査中、とくに綱島を担当しておられる。門のそばに書かれた「私の願いは呼吸を合わせて生きることである。石とでも草とでも…」が心に残る。

 すがすがしいお寺だった。綱島駅に戻ろう。

 (東照寺・住職程木徳明氏。港北区綱島西11315  0455311783



綱島駅西口からすぐ東照寺参道







程木住職はご開帳のこの日、数々の宝物をご親切に説明してくれた



    福禄寿の興禅寺 (横浜市港北区高田町)


 
今度は新城行バスに乗り、天満宮下車。突然広がる空の下に輿禅寺がある。

  ここには福禄寿、すなわち、福(幸福)禄(財産)寿(長寿)の三つも授けて下さるご本尊がいる。

 住職は金子さん。学問の神でもある福禄寿を奉(たてまつ)ってあるのは、昔ここで寺小屋をもっていたからだ。今は金子さんが剣道を、奥様が弓道を指導していらっしゃるほか、雅楽のグループもあり、川崎大師へ出張演奏も行っている。

 お寺の前にある、むかし輿禅寺の支配下にあった天満宮は、流星が落ちた場所にお宮を建てたのが始まりなんだ。お寺もお宮も、今夜も流星が落ちてきそうな、そんな雰囲気の場所だった。

 (輿禅寺・住職金子晃淵氏。港北区高田町1799 0455911340  



武芸の得意な和尚さん、千葉一刀流のながれをくむ



















お寺の長い歴史を語る六角堂



    恵比寿様の西方寺 (横浜市港北区新羽町)


 
バスで吉田口まで戻って、小机行に乗り換えよう。新羽で降りたら、西方寺はすぐだ。魚屋さんに教えたい、ここは恵比須様のお寺だ。

 恵比須様は航海の神、漁業商売の神としてお馴染みだね。このお寺は最近ご不幸があったために、取材は無理だったが、住職の伊藤さんは感じのよい方だった。教職にあった亡き伊藤履遣先生は、この七福神を結成、文化財保存維持に大変力を注いだ方だと聞く。

 山門からは真正面に、大倉山の精神文化研究所が小さく見えるんだから、斑鳩(いかがるが)の里をほうふつさせるこのお寺、やはり港北区に位置するのは確かなんだ。

 (西方寺・住職伊藤増見氏。港北区新羽町2586 0455312370



100メートル以上続く長い参道の西方寺




    毘沙門天の蓮勝寺 (横浜市港北区菊名)


 菊名駅を東口へ降りて丘の上、ここは毘沙門天の蓮勝寺。

 住職は柴田さん。鎌倉末期、ここ一帯に野菊の咲き乱れる様は、極楽のように美しかった。そこで蓮勝上人がお堂を建立したのが創始。一幅の水墨画を思わせるようなお話だね。運慶作は、左ギツチョの毘抄門天。厄除け、開運のご利益テキメンと聞く。

 今度は石猿のお話をしよう。鎌倉街道で旅人をおどしていたイタズラ石猿は、この寺に封じこめられて以来、口を濡らすようになり、天災・飢饉の前兆に、口を乾かすようになったというから健気だ。

 当寺は一度も火災にあっていないためか、深奥の雰囲気は、すばらしいものだった。

 (蓮勝寺・住職柴田敏夫氏。港北区菊名5440 0454218683



鎌倉時代から1度も天災、人災にあわない、古いお寺の連勝寺


柴田住職親子


お寺の前の道に埋っていた石猿。このサルは道ゆく人たちをおどかしていたが、発掘されたトタン天災の前ぶれを告げるようになった




    大黒天の正覚院 (横浜市港北区大豆戸町)


 
東急バスで、新横浜から徒歩3分。新横浜ホテルの真向いに、堂々と正覚院はある。

 住職の山岸さんは、あいにくと体調を崩されており、お目にかかれなかったけど、大黒天には面会してきた。
 本堂に入って右、2体の石の大黒天は、なんと左右対照だ。石屋さんの勘違いが、この「鏡の国の大黒天」を作ったものらしい。

 圧巻の大黒天は、山岸さんの発明で、境内のケヤキの大木を刻み、体内には開山以来伝わる大黒天を納めたものだ。大黒天は糧食を司るインドの神様だが、後にご存じ、イナバの白兎を助けた大国主命と一体化した。大黒様いわく「我槌は宝打ち出す槌であり、のらくら者の頭も打つ槌」。打たれる前に逃げ出して、女神様に会いに行こう。

 (正覚院・住職山岸遜明氏。港北区大豆戸町1160  0454218362



 毎日夜明けと日暮れをつげる正光院の鐘。すぐ前には新幹線が走る




石屋さんの勘違いでできた、左右一対の大黒天




  弁財天の菊名池大明神(横浜市港北区菊名池公園内)


 妙蓮寺で降りたら右へ2〜3分、菊名池公園内に、七福神中の紅一点、弁財天がお待ちかね。

 彼女は愛敬を示す商売繁昌・交通安全の神様である。菊名池の弁財天は少し変わっていて、右手に剣、左手に玉を持っている。

 このお姿、じつは、当七福神の発足仕掛け人・山本さんの夢枕に立った美女のお姿なんだ。しかも、その美女は法華経にあることを教えられた山本さん、事実は小説より奇なり、とおっしゃっていた。

 弁財天は、お寺の妙蓮寺の支配下にあるが、現在は無宗派。山本さんに、仕掛け人の苦労話を尋ねた時の「私はリーダーではなく、番頭役だったんですよ」のことばは、かなり重いものに感じられたんだ。

 (菊名池大明神・堂守り、山本清次氏。港北区菊名公園内 0451019409



昔は満々と水をたたえる菊名池畔にあったが、今は菊名池プールの脇


山本さんは、横浜七福神の生みの親
















   巡ってみて書いてみて…

  本当は七人衆の名すら知らなかった私だけど、いま、覚えたての七福神と住職さんたち、目に見えない何かで、宝船は満載になっている。

君がもう一度巡拝するなら、平日を勧める。ここに紹介できなかった秘話が聞けるかも知れないから。これで誌上七福神めぐりは終わる。最後までお付き合いありがとう。 

 次は、横浜の港北区の隣、川崎の中原区の「七福神めぐり」はいかがですか。
                            
                            本文担当・浜 理恵子


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