編集支援:阿部匡宏
投稿:益田 勲(横浜市神奈川区神之木町)  編集:岩田忠利    NO.180 2014.8.27 掲載 

画像はクリックし拡大してご覧ください。

樹木
 
駅名の由来@


    日本大通の歴史遺産


                                                 


 
はじめに

 
日本大通りは横浜を代表する歴史的な場所で、幕末からの文化遺産が多く存在するところです。

  
この道路は、1866年(慶応2年)の日本人街の大火災を契機に、日本人街と外国人街を区分する幅36bの防火帯として、英国人技師RH.ブラントンが設計し、整備されたものです。

 私の祖父もこの日本大通りの境町に住居していました。ちょうど横浜スタジアムの近くに、茂木惣兵衛(横浜の実業家)の家作を借りて、歯科医院を設けていたと父から聞いています。祖父は
1883年(明治16年)に渡米後、ハーヴァード大學齒科學部に入り、D.M.D.(ドクトル・メヂチーネ・デンタリエー)の學位を得ました。帰国後、1893年(明治26年)10月に醫術開発試験委員を命ぜられ、1894年(明治27年)5月に米国東洋艦隊臨時齒科醫を嘱託されました。それらの功績によって1903年(明治36年)3月には正七位に敍せられました。ほとんど高級外国船員を診ており、いつも現金決済で、金貨がポケットに溢れていたそうです。
※齒科醫事衞生史 昭和151025日刊 日本齒科醫師會参照

 
私はその境町の家を見たことはありません。横浜歴史資産調査会の日本大通り建造物一般公開に参加し、その周辺の遺構を探ってみました。2009(平成21年)9月27日のことです。
 
1の地図) 東西倉庫以外の出典は、横浜歴史資産調査会のパンフレットから。



日本大通り地図2009年9月27


 
日本大通りの歴史遺産、探検!

   
東西倉庫 (横浜市中区海岸通)


 
1949年(昭和24年)に横浜税関の保税倉庫として、大日本帝国海軍霞ヶ浦航空隊零戦格納庫の資材を用いて建築されました。
 この倉庫は戦後の横浜の復興をずっと見守っていましたが、2008年の春に解体されました。消えゆく鉄道施設Uでご紹介した、転車台はこの倉庫の床下に眠っていたものです。
 この倉庫に貨物線も多く配線されていましたが、今は舗装が敷き詰められて跡もありません。波止場には揚重機も残っていましたが、横濱臨港貨物線跡の遊歩道が完成し、これも消滅しました。
 


東西倉庫
2006年5月3日撮影:在りし日の姿で



         東西倉庫跡
2009年9月27日撮影:中央に転車台跡があります、高架橋は遊歩道です



揚重機跡
2001年9月22日撮影:波止場と転車台の間にありました



   横浜海洋会館 (横浜市中区海岸通)


 
1929
年(昭和4年)に建てられた鉄筋コンクリート造(地上3階地下1階)の建物で、先ほどの東西倉庫に隣接する建物です。この海岸通りには同じような外観の建物群があり、ほぼ同時期に建てられましたが、現存するのは4棟。設計、施工は大成建設の前身である大倉土木です。

この会館の場所には関東大震災前まで2代目の横浜税関がありました。震災で倒壊後、税関は今のところに移り、跡地に建てられた建物には、すべて貿易や海運関係の会社が入っています。

 外壁の化粧枠や開口部は擬石ですが、それ以外の壁はスクラッチタイル張です。ここの1階にはカフェやレストランがあり、のんびりお茶をしていると、古き良き時代の横浜にいるようです。

 事務所の内にも入ることが出来ました。映画に出てくるような、異国情緒が溢れるノスタルジックな会議室があり、若い時に一度は勤めたかったなと思うことしきり。



         
横浜海洋会館
2009年9月27日撮影:日本大通り側から、もう東西倉庫はありません


横浜海洋会館
2009年9月27日撮影:シルクセンターに向かって




横浜海洋会館内部
2009年9月27日撮影:たぶん会議室か応接室


 横浜開港資料館旧館(旧横浜英国総領事館)
               (横浜市中区日本大通)



 
子供のころには、ここはイギリス領事館でした。領事館は2代目で、関東大震災の後に建てられています。

 初代は神奈川区浦島町の浄滝寺でした。1931年(昭和6年)に英国工務省の設計で、昭和土木建築が建てました。ですので、とても英国的な香りがするところです。

 旧横浜英国総領事館の建物の中には、領事館の部屋もあり当時の家具も残されています。ここの中には、水道の項で述べさせていただいた獅子頭共用水栓が残されています。



 横浜開港資料館旧館
2009年9月27日撮影:矩形が基調と言われていま






        領事の椅子
200311月3日撮影:日米和親条約が結ばれたところかも



   横浜海岸教会(横浜市中区日本大通)


 
この教会は1933年(昭和8年)に開港資料館のすぐ脇に建てられました。現存する日本最古のプロテスタント教会です。設計者の雪野草吉は横浜に生まれ、旧東京芸術大学で学んだ宮内庁の建築技師でした。

 建築的な特徴は、尖塔、バットレス(控壁)、アーチによるゴシック調の建物です。室内は天井部を折り上げ、明り採りを設け、明治村の聖ザビエル天主堂のような三廊式です




横浜海岸教会
2009年9月27日撮影:外観は白が基調です



横浜海岸教会
2009年9月27日撮影:圧倒的な迫力の天井


横浜海岸教会
2009年9月27日撮影:祭壇を俯瞰する




 
ZAIM旧関東財務局横浜事務所

          (横浜市中区日本大通)



 
この建物は、1928年(昭和3年)2月に日本綿花株式会社の横浜支店として建てらました。この建物の通りを隔てた反対側に、祖父の歯科医院があったはずです。日本大通りに面していたと聞いています。隣がスーベニア・ショップで、斜め前が朝日新聞だったそうなので、多分このあたりでしょう。

 さて、日本綿花株式会社は、ニチメンと社名を変え、その後日商岩井と合併して、双日株式会社となりました。建物は終戦後に米軍が接収しましたが、その後、国に買戻され1960年(昭和35年)に事務所棟が旧関東財務局に、1964年(昭和39年)に倉庫棟が神奈川労働基準局庁舎となりました。2003年(平成15年)には横浜市が買収し、この建物を歴史遺産「ZAIM」と名付けました。

 外装は茶と薄黄色のスクラッチタイルが張ってあり、海洋会館と似た雰囲気です。ここでの見どころは、階段室周りです。ここに居た商社マンが、訪れた外国の街並みを懐かしんだのでしょう。壁の塗装のひび割れに通りの名前を書き込んだものが残っています。



           ZAIM
2009年9月27日撮影:ここで見学会の受け付けをしました


 


ZAIM落書き
2009年9月27日撮影:どこの町なのかな


               日本大通
2003年3月13日撮影:ZAIMの反対側、手前の茶色の建物あたりが祖父の家のあたりか
「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る

ご近所探検記(17)へ