編集支援:阿部匡宏
 投稿:益田 勲(横浜市神奈川区神之木町)  編集:岩田忠利   NO.175 2014.8.23 掲載

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樹木
 
駅名の由来@
 消えた東横線の駅


 
東急電鉄東横線は2004年(平成16年)に「みなとみらい線」に乗り入れた時点から、大きく変化しました。

 高島町駅、桜木町駅はルートが無くなり、反町駅、横浜駅が地下化されました。つい最近、東武鉄道、西武鉄道、副都心線の相互乗り入れで、代官山、渋谷駅間が地下化され、地上の駅施設は姿を消しました。

 東横線の廃駅は他に渋谷駅と代官山駅の間にあった並木橋駅、武蔵小杉駅と元住吉駅間の工業都市駅、ともに今はありません。

 今回は新大田町駅、反町駅、神奈川駅、桜木町駅、高島町駅の跡地に行ってみました。


  探せなかった  新太田町駅 (横浜市神奈川区広台太田町)


 
まず、昭和6年の古い地図を見てみます。原本の地図は、横浜市建築局都市計画課のサイトに行くと見ることができます。
  http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map/025s.html

 地図の左上のブロックに「新太田町」、左の中段上に「反町」、左中端のトンネルの出口に「神奈川」の駅名を読み取れます。いずれも鉄道と道路交差地点に駅がありました。

 新太田町駅は「暮らしワイドな窓:NO.104 地名16生きている沿線の歴史 戦火に消えた町」に記載があります。昭和20年5月29日の大空襲により焼失した駅です。工事中に行ってみましたが仮囲いが厳しく巡らされており、駅部(高架橋の張出部)を探せませんでした。

 その後、遊歩道になった時に見に行きましたが、駅跡地にあると言われた標識版が探せません。実は隣接するマンションの生垣の中にありました。マンションの案内版かと思っていました。

 


昭和6年地形図「神奈川」
【横浜市地形図複製承認番号
26 建都計第9 0 2 6 号】








    神奈川」拡大地図
【横浜市地形図複製承認番号 平26 建都計第9 0 2 6 号】


新太田町駅付近
2014年7月20日撮影:この遊歩道が東横線の跡地




新太田町駅付近
2014年7月20日撮影:東横フラワー緑道碑石




新太田町駅跡標識
2014年8月14日撮影:南側マンションの生垣内




  高島山トンネルの出入り口にあった 神奈川駅(横浜市神奈川区台町)


 
神奈川駅は横浜方の高島山トンネルを出たところにありました。地図を見てみますと2面2線のホームの位置をずらした千鳥の相対式です。

 鉄道関係の方から、駅は人の流れ、物の流れ、情報の流れの結束点であり、いつの時代でも地域の文化を担ってきたと伺ったことがあります。

 この駅は旧東海道の街並みに面しており、多くの往来があったと思われます。当時は省線、京浜電気鉄道、横浜市電の駅が集まっており、地域の中心地だったようです。しかし、
1950年(昭和25年)に横浜駅に近いこともあって、廃駅になりました。



神奈川駅跡
2001年7月20日撮影:海側から見るが駅の痕跡なし




         神奈川駅跡
2001年7月20日撮影:山側から見るとホーム跡らしきものがあります



高島山トンネル
2001年7月20日撮影:坑口は矩形になっていた




         神奈川駅跡
2014年7月20日撮影:整備が行き届いて痕跡もありません





 高架橋部分が遊歩道になる 桜木町駅(横浜市中区桜木町)


 
桜木町駅は初代横浜駅でしたし、高島町駅も2代目横浜駅でした。それらがともに2004年(平成16年)に消滅したのは、前述の通りです。
 ただし、初代桜木町駅は国鉄の駅であり、東横線はJR駅に沿うように山側に乗り入れていました。

  「東横線最後の日」として、別れを惜しむ催しが、東急電鉄主催で2004年(平成16年)1月30日に行われました。とは言え、ホームや駅の一般開放ですので、何かあっけらかんとしたものでした。

 
横浜から桜木町までの高架橋の部分を、遊歩道にする計画があり着々と補強工事が進んでいるようです。
 高島町から桜木町の高架橋下の壁には、いたずら書きのようなペンキ絵が描かれていたのですが、世界的に有名な画家の絵もあるとのことで、探しに行きましたがサインがある訳でもなく、結局わかりませんでした。



桜木町駅
2004年130撮影:勤め人風の人がちらほら…


桜木町駅跡
2014年8月16日撮影:高架橋の断面や盛土の跡が残る





               高架橋下
2003年6月21日撮影:このような絵が全スパンに描いてあります



          高架橋
2014年8月16日撮影:躯体の断面修復が行われています




 アーチ式の独特な形の駅舎 高島町駅(横浜市西区高島)


 
高島町駅は鶴見線の国道駅で述べましたように、コンクリートの神様と言われた阿部美樹志博士が設計したものです。アーチ式のラーメン構造が特徴で、人間的な柔らか味を感じさせます。私はこの駅で降りた記憶があまりありませんが、旧横浜駅の煉瓦基礎が発掘されてから、この近所を歩き回るようになりました。

 阿部美樹志博士は、1883年(明治16年)に岩手県関町に生まれ、札幌農学校土木工学科(後の北海道大学)を卒業し、鉄道作業局に入局。留学したアメリカ・イリノイ州立大学でph.D.(工学博士)を取得し帰国後、東京〜万世橋間の高架橋を設計しました。東京横浜電鉄(東急)では、渋谷、横浜、神奈川付近の駅、高架橋を設計しています。
 高島町は1928年(昭和3年)に手掛けています。駅裏に回ってみましたが、普通のラーメン構造でした。博士は他にも、中央大学図書館、阪急ビルディング、阪急西宮球場などの設計をし、土木、建築にわたる多才な人であったようです。

 ※「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」小野田滋(鉄道総合技術研究所)土木史研究 第2120015月 参照しました。



          高島町駅お別れの日
2004年1月30日撮影:最後の日であり惜しむ人が集まりました




           高島町駅入口
2004年1月30日撮影:高架橋部分は年月の劣化が進んでいる




高島町駅裏
2014年8月16日日撮影:階段のスロープが残っています


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