編集支援:阿部匡宏
編集:岩田忠利     NO.165 2014.8.16 掲載 

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昔の町並

 昭和24年の妙蓮寺駅周辺
                                                  

   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和62年3月10日発行本誌No.37 号名「柚(ゆず)」

   
構成・取材・編集 :岩田忠利(編集長) / イラスト ・マップ石野英夫(元住吉) 
     取材:末永芳秀
(編集室) 協力:山岡英昭 / 野上純与 /飯島伊之亮 / 甲斐政一




        大綱村篠原に電車が…

        
話す人:峯岸宇助さん(篠原東3丁目)


 

子供時代のこの辺は、橘樹郡大綱村大字篠原という地名。篠原には表谷・仲手原・富士塚・榎本・防谷戸の5つの部落があり、桶屋と篭屋以外はみんな農家、戸数100軒でした。ほかは一面の畑と山林ばかり、大綱村の満州≠ニ呼ばれていました。土壌はバカ地≠ニいって地力がなく、限られた野菜しか適さない。

大正15年の東横線開通のときには、大変な騒ぎでした。押尾さんの家で投げ餅≠みんなで搗いたり、妙蓮寺境内で“茶番(芝居)”をやったり・・・。妙蓮寺駅乗客は1人か2人いればいいほうで、殆どゼロ。で、東急は定期的に村の数人を無料優待したものです。「やぁ〜い、きょうは電車の運動会≠セぁ〜い」と岩岡の親父さん(女優五大路子さんの祖父)がニコニコしながら帰ってくる姿を今でも覚えています。

駅は最初、水道道と旧綱島街道の交差点あたりに設置される予定でした。が、妙蓮寺の住職さんが「駅をあっちへ持っていくなら、寄付した地所を返せ!」と怒って、結局、現在地になったんですね。

住宅や商店がボツボツ建ちはじめたのは、東横線開通以後。どんどん建ってきたのは、昭和30年から35年にかけてです。当時新婚ホヤホヤで、よくわが家に野菜を買いに来ていた若夫婦たちがいま、孫の誕生を見るような年齢になりました。これがあの当時の平均的な世代の人たちと言えましょう。

菊名池は、谷戸から湧き出る清水が寄り集まって3本の小川となり、それが流れ込んできたものですよ。広さ12千数坪、この近在では一番大きい池でした。大雨が降ると、池の魚が勇んでしまって、うちの前の流れまでコイやフナがあがってきたものです。昔は下水を流さなかったから、池の水は澄んでいて、きれいでしたよ。

 それが、周囲に人口が増えるにつれ、池の底からブクブク泡が出たりして悪臭がひどかったですねえ。しかしまた、最近は市営プールに生まれ変わり、すっかり近代的になりました。長生きはしてみるもんですね。



昭和25年の菊名池

 現在のスーパーOKからプール方面を見た景色。
 提供:伊藤顕榮さん(篠原東)


昭和29年4月、ボートで花見

ボート代は10円ほどで、時間制限なしでした。 
提供:山岡増衛さん(菊名 風月堂)

 

  
昭和24年妙蓮寺駅周辺

   
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