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投稿:益田 勲(横浜市神奈川区神之木町)  編集:岩田忠利    NO.79 2014.6.29 掲載 

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樹木 駅名の由来@消えゆく鉄道施設U


 はじめに

  消えゆく鉄道施設にも色々あります。よく目にはしていますが、その価値に気付けないものや、自分の郷愁に訴えってくるものなどです。
 鉄道は土木遺産ですが、駅舎や車両基地などの古い建築物も捨てきれません。そのようなものを探し続けていきたいと考えています。



 横浜港転車台

 2008年(平成20年)1019日に横浜ヘリテージ(横浜歴史資産調査会)から緊急連絡が入りました。

 横浜港の大桟橋の入り口近くにある東西倉庫を解体し、「みなとみらい」から山下公園にかけての遊歩道を整備する「象の鼻パーク」の工事で、明治時代の鉄道遺構が現れました。貨物船からの荷揚げにはトロッコを用いて搬送しており、その軌道と転車台が掘り出されました。

 発掘場所は見学者で溢れかえっていました。転車台はよく考えられた仕組みで、トロッコを直角に方向転換させます。大変、趣があり煉瓦のくすんだ赤がとても映えています。いつの時代か分かりませんが、波止場から税関に向かう鉄路も見えています。

 後日訪れてみると、転車台はガラスに覆われよく見えませんでした。



      掘り出された転車台

20081019日撮影:回転機構がよく考えられています



ガラス張りの転車台

2001年5月6日撮影:迫力が失われています




埋没していた鉄路

20081019日撮影:これは撤去されました

 
横濱臨港貨物線跡


 横浜は外国貨物船が運んできた物資の配送基地でした。そのため貨物鉄道が鶴見、川崎から本牧、根岸まで縦横に走っていました。

 この山下公園を縦貫していた横濱臨港貨物線もトラック輸送に押されて廃線になりました。その後も公園内には高架橋が残っていましたが、景観を損なうと2000年には完全に撤去されました。一部は「みなとみらい」の遊歩道に利用されています。



解体工事中の高架橋

2000年4月1日撮影:無くなったのが少し残念です

  田浦交差線路跡

横須賀の田浦に田浦港軍用専用線の跡があります。

トンネルの前の道路に、くっきりと鉄路が残っています。この近くで造成工事が始まっており、この廃線も無くなってしまうかもしれません。

前述の転車台のように直角に線路が交差しているところも見受けられました。トンネルは片側を軍用線、片側を軍用道路として用いていたと思われます。トンネルの中に地下壕があり、壁面にその跡が残っています。




             田浦の交差線路  2010年9月7日撮影:意外に交通量があります


      トンネルの中の地下壕跡

2010年9月7日撮影:馬蹄形の坑口を埋めた跡があります

  大井町煉瓦建物跡

 京浜東北線の大井町から品川までの間で、レトロな煉瓦建物を見ることができます。

 JR東日本の東京総合車両センターにある建物で、ボイラー棟として用いられていたようです。東京総合車両センターでは毎年8月に子供や鉄道マニア向けの「夏休みフェアー」が行われますが、その展示に昔の写真が飾られていました。ご興味がある方は、このフェアーに行かれることを薦めます。

 ここの棟に入る機会があり、各部屋を覗いてみましたが、改装されていて何も古めかしい所はありませんでした。



煉瓦造のボイラー棟

2007年7月8日撮影:近くの道路から


  
寒川支線跡


 相模原から厚木に掛けて、かつては軍事基地や軍需工場、工廠などが多くある地域でした。
 この「寒川支線」も昔は海軍工廠につなげる軍用線でした。相模線の支線で相模川の砂利の搬送を行っていましたが、戦争の時に接収されたようです。
 
 終点の「四ノ宮駅」には、「相模海軍工廠跡」の石碑が建っています。この線は
1984 年(昭和59年)に廃線になりました。寒川駅とこの駅の中間に「西寒川駅」があり、両駅とも今は公園になっており、軌道敷もそのまま残されています。動輪モニュメントもお洒落です。




動輪と公園

20011013日撮影:公園よりは遊歩道に近い


相模海軍工廠跡

20011013日撮影

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