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ロゴ:配野美矢子/編集支援:阿部匡宏 |
NO.76 2014.6.27 掲載 |
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消えゆく鉄道施設T |
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投稿:益田 勲(横浜市神奈川区神之木町) 編集:岩田忠利 |
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はじめに
微かな記憶の中に消えていった鉄道施設があります。前回の万世橋駅もその一つででした。施設というと駅、変電所、軌道、車両基地などを言います。基本的には橋梁やトンネルも鉄道施設です。
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ドリームランド駅(ドリームランド・モノレール線)
ドリームランド・モノレール線は大船駅(北口側)とドリームランド駅を結ぶ2駅しかありませんでした。全長5.3キロbですので、民鉄ならもう一駅か二駅が入る長さです。ここのモノレールは「跨座式」と言って軌道を跨ぐ形式であり、面白いことに大船駅の南側には湘南モノレールがあり、これは「懸垂式」と言って軌道にぶら下がる構造のものです。
さて、このモノレールは勾配がきつい(100‰)、大馬力のモーターを積んでおり車重があったせいか構造物に亀裂が入り、やむなく1967年(昭和42年)に運行を停止しました。開業後わずか1年半の出来事でした。
2006年(平成18年)にはドリームランド跡地に横浜薬科大学が移転されモノレールの痕跡も無くなってしまいました。横浜市の公共交通ネットワークプラン(市営地下鉄、相鉄線、モノレール線をつなぎ環状線を作る)にも入っていたのに残念です。
※「‰」とは1/1000のことで1キロbで1bの勾配があること、100‰は100bの傾斜があることで、異常な数値です。リニア新幹線でも最急勾配は40‰です。『環境影響準備書あらまし』より)
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ドリームランド駅の跡
2001年5月6日撮影:タイヤなどが廃棄されていました |
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大船駅近辺の軌道跡
2001年5月6日撮影:まるでオブジェのようです
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公共交通ネットワークプラン図(横浜市2010年策定)
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高島町駅と国道駅
東横線の横浜駅〜桜木町駅間のルートが2004年(平成16年)に廃止されました。東横線がみなとみらい線とつながったためです。
その中間駅の高島町駅(東横線)は、営業は停止されましたが、遺構は高架橋ともに残っています。この高島町駅と鶴見線の国道駅は、同じ設計者が作り上げました。コンクリートの神様と言われた阿部美樹志博士が手掛けたものです。博士は「浅野混凝土学校」の先生でした。
高架橋の上に駅舎があるいわゆる橋上駅で、アーチ構造がふんだんに使われています。ともに海に近い環境で年月を経ているため、塩害の影響を受け鉄筋が腐食し、コンクリートの劣化が現れはじめています。国道駅はこの駅舎の高架下に一般の住居や店舗があり、風情はありますが、住み続けるには、今の補修を行う必要があります。
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東横線旧高島町駅アーチ通路
2003年6月26日撮影:独特の美意識があります
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鶴見線国道駅アーチ通路
2000年4月1日撮影:土地柄か少し侘しさが漂います
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平沼駅跡
京浜急行に乗ると戸部駅の近くに対向式のホームが見えます。旧平沼駅の跡です。
この駅のシャッターチャンスを得るためには、4、5回は電車で往復しなくてはなりません。しかも子供のように先頭車両に乗ることも必要です。
綺麗な鉄骨フレームの駅舎は見た記憶はありますが、これはとうに撤去されました。わずかに残っていたラチス構造の架線柱は鋼材の腐食がひどく、1999年(平成11年)には撤去されていました。
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旧平沼駅の遺構
2001年9月22日撮影:電車の中から |
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本山前駅跡
鶴見線はレトロな線です。鶴見駅からほんの少し行った所に鶴見臨港鉄道時代の本山駅跡があります。
駅名は曹洞宗大本山の総持寺の山門の入口に駅が位置していたことによります。その後、本山前から本山へと名称を変え、戦時中の1942年(昭和17年)12月12日に駅は廃止されました。
この駅の下は、川崎鶴見臨港バスのバスターミナルになっています。鶴見線はひと駅間が1kmに満たないので、本山前駅は鶴見駅から歩いて10分位の所になります。下から見るとホームに昇る階段の開口部がしっかり見て取れます。
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2004年当時の鶴見駅
2004年9月19撮影:103系電車は貴重品です
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本山前駅の遺構
2004年9月19日撮影:夏草に覆われています
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桜木町駅の駅長室跡
桜木町駅を降りて歩道の南側に、ここが旧横浜駅だったことを示すモニュメントが建っています。
しかし、どこを見渡しても、駅舎の遺構がありません。由緒のありそうなものは無いのか、探しますがありません。よ〜く見ると、野毛の通りにつながる地下道の柱に、表札なようなものが張り付けてあります。近づいて更に観察すると「横浜駅長室跡」と書かれていました。それ以外は見渡しても歩道が広がるばかりです。
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旧横浜駅の記念碑
2005年5月7日撮影:「鉄道創業の地」とあります
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旧横浜駅駅長室跡
2005年5月7日撮影:地下道の柱に付いています
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左の碑の拡大
「開業当時の横浜駅長室跡」と記されています
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