編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏

                    投稿: 益田 勲 (横浜市神奈川区神之木町)    NO.61  2014.06.09 掲載                          
 

画像の上でクリックし拡大してご覧ください。

紀行
何回長電話しても無料の国際電話 スカイプ
水道の
配水塔



 はじめに

  横浜の水道の歴史は開港以来のものだそうで、日本の水道史と言っても良いくらいです。
 水道事業はイギリス人設計士パーマーが明治20年(1887年)に近代水道を完成させています。最初の水道は現在の津久井町の道志川(相模川の上流)から取水し、野毛山浄水場まで48`bの距離をイギリスから輸入した鉄管を通したそうです。
 今回のご近所探検は、私たちの暮らしに不可欠な水道の配水塔です。


 

 鶴見配水塔

 家の近所に古い水道の遺構が残っています。鶴見配水池・配水塔のことで、鶴見区馬場町に残っています。私が子供の頃にはモクレンの花の芯のような形から「もくれん塔」と呼ばれていました。たまたま、後ろにTVK(テレビ神奈川)のアンテナタワー(三ツ池にあります)が写っており、まるで角でも生えているようです。

 飲料水を鶴見区東寺尾の丘陵地に送るために、昭和12年に構築されたものと聞いています。正式名称は「横浜市水道局鶴見配水池」と言います。塔の高さは約26bで、住宅の真ん中にニョキッと建っているので、少し吃驚します。幼いときに読んだ江戸川乱歩の小説に出てくる怪人20面相が登るような塔です。それでいて夏にはツタで覆われ緑の塔となります。この前を通るたびに、いつもワクワクしながら眺めています。

今は全く使われていないし、水道局も見学会を行ないません。コンクリート構造物としては、銀座線と同じ年月が経つ老朽化構造物です。崩壊の危険が生じれば、すぐに撤去され無くなる運命だと思っています。 



鶴見配水塔1
2013年1月4日撮影:松蔭寺山門前から








鶴見配水塔2
2012年1月3日撮影:水道道から








鶴見配水塔3と配水池
2000年2月26日撮影:裏手から、左は配水池



 和田堀給水所

 ご近所探検隊は、2001年4月に世田谷のM氏に会いに行きました。和田堀給水所と駒沢配水塔に案内をして貰うためです。

和田堀給水所は、世田谷区大原の京王線代田橋駅を降りすぐの所、タスクの所にあります。浄水場の配水池として、千代田・渋谷・世田谷・港・目黒区等に配水しています。

和田堀ポンプ場のパンフレットによると、大正13年(1924年)2号配水池完成、昭和9年(1934年)1号・配水池完成、昭和36年(1961年)第一配水ポンプ所完成、昭和41年(1966年)第二配水ポンプ所完成と、かなりの年代ものです。


      和田堀給水所1
 
2001年4月1日撮影:池の堤の上にある建物



      和田堀ポンプ所2
2001年4月1日撮影:コンクリートの階段が古さを感じさせます


和田堀給水所3
2014年1月26日撮影:解体工事が進んでいます


ここはそんなに古く感じませんが、大きな規模を感じます。人工物の巨大構造物にはなぜか感動します。この日は年に一度の施設の公開日で、桜が満開でしたので花見も出来るのですが、連れて行った犬は入れて貰えませんでした。

給水池の貯水位置は、どうやら地上か15bくらい上にあると考えました。この施設の漏水が見える高さを考慮してそう思いました。

20141月に久しぶりに訪れてみたら、この給水所が解体工事中で、消えゆくものの儚さを感じながら撮影してきました。土木構造物には、独特のレトロ感があります。でも、この古さがたまらないですね。



和田堀ポンプ所4
2014年1月26日撮影:堤の上の建屋


和田堀給水所5
2014年1月26日撮影:裏側の公園から撮影

 駒沢給水所

 駒沢給水塔は、正式には「東京都水道局駒沢給水所配水塔」と言うそうです。今でも実際に使われている施設で、M氏の話では世田谷区の歴史的建造物として残されているそうです。この施設の前には、三井パークシティが開発され、新旧の時代対比がされています。

配水塔の高さは23b、内径14b、塔1基の容量は2,775立方bです。低層の駒沢の住宅の屋根の上から二つの塔が並び、間を橋で繋いでいる様は見る人を圧倒します。建設当時は、15万人分の給水能力があったといいます。



駒沢給水所1
2014年1月26日撮影:正面入り口

塔の屋上にはうす紫色のグローブ電球が配置されています。今ではいろいろな所が壊れていますが、もはや部品が手に入らないため、そのままになっています。

この給水施設は、水道工学の第一人者、中島鋭治が設計したとのこと。この事業は、「渋谷町」が独力で行ったものらしく給水所の構内に、「渋谷町水道施設記念碑」が残っています。水源は北多摩郡砧村大字大蔵地先(現世田谷区)の多摩川の底から伏流水を汲み上げ、それを浄水して、4`b 先の駒沢給水所へ送り、さら4.5`b先の渋谷町まで、自然の傾斜を利用して送水したとのことです。なんと現在、三軒茶屋の駅前に建つキャロットタワーが面する道路は、駒沢配水塔から渋谷町へ送水本管を埋めた水道道路だったのです。ここに住んだらどんな風に四季を感じるのでしょう。

 
ご興味のある方は、「建設業界」日本土木工業協会機関紙199810号の特集「丘の上のツウィン・クラウン」に詳しく報告をされております。



駒沢給水所2
2001年4月1日撮影:裏手の三井パーク側から撮影



駒沢給水所3
2001年4月1日撮影:裏側の公園から撮影

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る ご近所探検記(3)へ