取材・文 岩田忠利    NO.30 2014.4.26 掲載                                              

画像の上でクリックし拡大してご覧ください。

樹木
魔法のごとく新機械を考案する、山下経一
さん



 取得した特許、なんと321件。世界一のラベリングマシーン企業に育成



  綱島の本社を訪ねる


  
1件の特許を取るのは、早くて5年という。それを320件も持っている人…。
 そんな人間のナマの姿とその半生に迫ってみたいと綱島駅に降り、東口を出て、綱島街道を横切り鶴見川沿いの広い通りをまっ直ぐ東へ。新幹線が鶴見川を渡る線路脇に、ひときわ高い「光洋自動機」という会社の6階建てビルがありました。ここにその人、山下経一会長はいらっしゃいました。



  愛媛県の宇和海に面した穏やかな町、「明浜」がふるさと


 ふるさとは四国・愛媛県。宇和島からバスで海岸線を佐多岬に向かって1時間ほど乗ると、八幡浜寄りに明浜町という半農半漁の穏やかな町があります。町のほとんどの集落が入り組んだリアス式海岸の宇和海に面し、急勾配の南斜面に並んでいます。昭和30年代まで海岸の崖には白い石灰層が一帯に露出、石灰の産地で有名でした。断崖は屏風のように海にそそり立ち、静かな海面に白い石灰層が反射、白線を引いたように見えました。

 明浜は、海抜0mから1400mと地形的に恵まれています。波静かな宇和海では豊富な海の幸、南斜面に広がる丘陵地では美味しい柑橘類などの山の幸が一年中とれるます。写真左下の俵津は漁師町。写真の野福峠を登りきった所にトンネルがあり、そこを潜りぬけると宇和町です。この町は平野で美味しい米の米作地。町民同士がトンネルを潜っては魚とコメを持ち寄って物々交換したものです。
 いくつになっても、ふるさとで食べたあの味(写真下)は忘れられないものです。



俵津から見渡す島々とさくら 
提供:愛媛県西予市明浜支所


高山漁港の夕やけ 
提供:西予市明浜支所


 石灰質土壌の成分と潮風と太陽を存分に浴びた伊予ミカン(愛媛ミカン)は甘く、濃厚な味


和製グレープフルーツ、河内晩柑、愛南ゴールド、ジューシーフルーツなどと呼ばれる旨い柑橘類


肉厚で歯ごたえのある、じゃこ天



郷土料理「ひゅうが飯」 
提供:西予市明浜支所




山下経一さん

光洋自動機椛纒\取締役・会長
愛媛県西予市明浜町生まれ80歳


光洋自動機竃{社工場正面



























  傷ついた一羽のツル

 或る日、一人の男が潮の引いた浜辺で異様な光景を目にしました。一羽のツルが羽根をバタバタさせ、何かもがいている様子。その上空にけたたましく鳴く数羽のツル、地上のツルを目がけて何度も急降下……。男がそのツルに近づいてみると、羽根を怪我して飛ぶことができず、もがいているのでした。
 男はツルをそっと抱いて自宅に帰り、1年間赤子のように面倒見るのです。そして、ようやく傷も癒えて飛べるようになり、放してあげました。

 その男が家で昼飯を食べているときのことです。ツルのカン高いひと声……。飛び出して空を見上げると、3羽のツルが家の上空を、弧を描いて何回か回り、宇和島の方へ飛んで行く。翌年は5羽が飛んできて上空を回る。この行動を3年間繰り返しました。まさに、ツルのお礼参り″だったのです。



面倒を見た男の家の上空を回っては、宇和島方向へ帰る3羽のツル




祖父・長太郎、父・鶴三郎、四男・経一

 その男の名は、山下長太郎。3羽のツルがお札に来たとき、長太郎に男の子が生まれ、その名をツル3羽にあやかったのか、「鶴三郎」としました。浦島太郎のお伽話のようですが、これは実話です。
 鶴三郎は、山下経一会長の実父。ツルの“恩人”、山下長太郎は山下さんの祖父その人。
 父親、鶴三郎は日蓮宗の敬虔な信者であったことから四男の名前を「経典」の一字「経」をとり、「経(きょう)一」としました。のち、父親の勧めで結婚した女性の名は「典子」さんで、偶然にも二人の合名が「経典」。これも不思議なご縁というものです。


 算数と理科に強い、青少年期の経一さん


 経一少年は家で勉強したことがないのに、算数と理科は滅法強かった。田舎の定時制高校の夜学に進学。昼間はハンマーを振り上げ、超重労働の石灰岩掘り。それでも「いろいろ工夫しながら仕事をしたから面白かった」と彼が言うように、石の目″を見分け、そこをハンマーでたたくと簡単に割れるという技術も体で覚えたりしました。

 高校を3年で卒業し上京。最初はパチンコ屋の店員、それからラジオ屋の調整工を経て、高田馬場のオーシャンウヰスキーに就職。彼はここで本領を発揮し始めます。休み時間に歯車や部品を集めたりしては、それを組み合わせ、世にも珍しい 新しい機械≠作り出すのです。それが社内で評判になり同僚からは「名人」と呼ばれるように。

 やがて、一介のサラリーマンに某商事会社がこの才能を買い、機械製作の発注をしてきたのです。まだ二十代後半の青年に、3年間も発注し続けたのでした。


  妻子を田舎に帰省させ、脱サラで機械作りに没頭

 
 31歳の時です。機械を本格的に研究し、新しい機械を産み出す新会社を立ち上げたい。その意欲に駆られ、1年間の浪人生活を決意したのでした。結婚し長女が生まれた直後でした。1年間妻と子を田舎に帰省させ、無収入の生活で機械づくりに没頭する毎日。それは、「瓶にラベルを貼る機械」の開発です。

  ひと口に瓶といっても、いろんな形やサイズがあります。昔はこれを機械が貼るなんて考えられませんでした。ラベルの両側に一枚一枚、糊を付けて手作業でパッバッと貼っていくのです。いくらベテランでもその数には限りがあります。
 この手作業を見た彼は「ラベルは商品の顔≠セ。よーし、これを機械で能率よく貼ってやろう!」と決意、この研究開発の道に入ったのは今から45年前のことです。連日、試行錯誤を繰り返す苦闘のすえ、ついに“日本初のラベリングマシーン第1号機”を完成させたのです。


            
       世界の光洋自動機への道


 社長みずからが1号機の営業、

                順調な売れ行き


 社長みずからが瓶詰め商品の製造会社を訪ねて飛び込みセールスです。大きなテーブル大ほどの1号機そのものは持ち歩くことはできません。1号機の写真と設計図を見せては、営業です。

 「これが1年間、わたしが研究と試運転の試行錯誤の末、完成させた機械です。親指大の瓶から一升瓶までこの機械一台で1分間に120本、秒速2本、ラベルが貼れます」と熱心に1号機の説明をします。
 先方の担当者は、はるかに年上のベテランのようで、なかなか山下さんの説明をまともに信用していない表情。それもそのはず、まだ32歳の若造。でも、ひるまず山下社長が話し続けます。
 「御社はどちらの機械をお使いですか」
 「ドイツのストロング社製だよ」と胸を張って答えます。
 「では、どちらが性能が勝っているか、試してみてください。代金は私の機械を使ってみてからで、結構です」

 モノ創りの喜びと人の心の温かさ

 このセールス話法で1号機1台目は、ニッカウヰスキーに、つぎの2台目にエーザイ製薬鰍ェ、3台目と4番台目に森永製菓鰍ニ明治製菓鰍ェ……と次々購入していただきました。
なかでもロート製薬の役員の方の元へ代金の集金に伺ったときのことです。「どうぞ、これを!」。差し出された紙包を開けてビックリ! 菓子包みかと思ったら札束・・・。なんと1500万円もあるではありませんか。山下さんがその額に驚き、恐縮していると、「その性能の良さに感激した代金と、あなたの今までの努力料です」とキッパリ。
 山下さんは当時のことを述壊。「あの時ほどモノづくりの喜びと人の心の温たたかさを実感したことはなかったねぇ!」。

 33歳で念願の会社「光洋自動機梶vの設立が実現しました。そして工場は大田区蒲田。周囲に下請業者が並んでいてここは便利です。木型・メッキ・塗装・材料各職種がみなすぐに揃います。納期に間に合わせるため毎晩3時間の睡眠で頑張りました。

 当時世界一といわれたラベラーは、ドイツのストロンクでした。しかし、当社の機械に比べ、5倍も高額なうえ、この山下青年が作った機械を性能テストしてみたところ、こちらがはるかにロスが少なく、高性能であることが判明しました。
 この評価が各業界に広まり、1号機は順調な売れ行きで推移しました。
 


ニッカウヰスキー仙台工場で現在も稼働中の1号機

1分間に120本、秒速2本、ラベルが貼れます







 商品の売れ行きを左右するラベル

 ラベルには商品の品質、生産月日、賞味期限、原材料名、成分などの商品の重要な情報を消費者に提供し、消費者が商品を選択する判断材料になります。
 とくに医薬品のラベルは人命にかかわる薬品名や成分を表示する重要な情報です。なかでも劇薬などの容器のラベルは“通算番号”を印字しながら貼っていきます。それは所管の国や県当局が販売先や使用医療機関を管理するためです。

ラベリングマシーン業界の革命
“ロールラベラー”出現


1分間1200本の容器にラベルを貼る



 このラベリングマシーン業界に革命が起きたのは、12年前、昭和53年(1978)。従来の印刷ラベルを一枚一枚機械で貼るのではなく、ロールにしたラベルをカットしながら高速回転で貼ってしまう“ロールラベラー”という機械の誕生です。
 もちろん、山下経一会長の考案、特許製品。1分間に1000本から1200本、速度を上げれば2000本でも貼れる高速性。それでいて1本の不良品も出ない精度の高さが特徴なのです。


 光洋自動機が「世界一」の評価

 今や、私たちの目に触れる瓶類、飲食料品・薬品・化粧品・家庭用日用雑貨品……全国のあらゆる瓶類などの容器10本中8本は「光洋自動機」製と言われています。
 ドイツの専門家が韓国で「日本の光洋自動機が世界のナンバーワンだ」と発表し、その知名度は一気に上昇、世界の隅々まで知れ渡っています。その証拠に、アメリカの超一流企業はほとんど同社製を使っているのです。


光洋自動機製のラベリングマシーンで貼った瓶の数々

 現在まで約900社、3000台の機械を納品しているそうです。

1分間に1200枚のラベルを貼る
“ロールラベラー”




ロール状のラベルが機械に搬入され、高熱の光でラベルを一枚ずつカットしながら超高速回転します




容器に糊づけしながらラベルを貼っていきます




 ラベルを貼った完成品の容器が猛烈な速度で搬出されます


 放置自転車・違法駐車・墓地の問題解消に貢献した山下さんの発明



 会長みずからが新しい機械の考案に次々と挑戟、それがあたかも魔法使いのように新機種を矢継ぎ早に生み出しました。
 それはラベリングマシーン業界に革命をもたらしただけに留まらず、他の業界にも画期的な偉業を成し遂げたのでした。

 「立体高速無人駐輪機」の考案

 
昭和40年〜50年代の駅前放置自転車問題を解消した「立体高速無人駐輪機」の発明。
 自転車の入庫も出庫も数秒の速さ、しかも無人で24時間稼働、土地面積も取らない高層という画期的な機械。これを発表して以来、各地から問い合わせが殺到したのでした。














昭和63年10月「神奈川県工業技術開発大賞」受賞のブロンズ

 「立体高速無人駐輪機」の発明で駅前の放置自転車解消に貢献したのが表彰事由
「立体高速無人駐車場」

 つぎの発明が「立体高速無人駐車場」。同社の隣地にモデルの1号機(面積10m×16m、地上12階。92台収容)が建っています。無人で危険度ゼロ。ボタン一つ押すと、自家用車が目の前に数秒で現れるというシロモノです。
 












   立体高速無人駐車場

 
地上12階、面積10m×16mで92台の車を無人で出し入れできます
 「自動納骨壇システム」の考案

 さらに「自動納骨壇システム」の考案が世間の注目を集めています。

 参拝者はカード1枚でお寺さんの納骨堂に出入りし、目の前に遺族の骨壺が現れ、参拝できるシステムです。無人なので寺側の人手はかからず、参拝者もどんな悪天候の日でも墓参可能。すでに京都・千葉・群馬・東京などの寺院で完成、活用されています。















お寺の境内に造られた自動納骨堂



納骨堂の内部

 22年を要した「自動掘削機」


 いま山下会長が22年の歳月をかけて取り組んでいる大きな仕事は、「自動掘削機」の実用化です。ただいま、新横浜工場で新運転を繰り返し、そのお目見えの日は間近です。その紹介はまたの機会に。


 3月に齢80を迎えた山下会長のモノづくりへの情熱と意欲は衰えを知らず、燃えています。
 特許は申請してから5年以上かかると言われます。それが、この人、山下経一さんの場合、多い月には5〜6個も特許が下りるスーパーマンぶり。
 「年間の特許申請料が1200万円になった年もありましてね」と笑顔で話されます。
 現在(平成26年2月)手中の特許は、国内特許出願計258件、海外特許63件で全特許出願総数は、321件にのぼります。


「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る NO.55 原 照源さんへ