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日本兵だけでは足りず、さまざまな労働者が集められました。朝鮮半島から強制連行、いわゆる拉致された朝鮮人に一部の中国人も加え、その数700人といわれます。彼らは劣悪な労働条件もあって日吉・宮前地区の人家へ片言の日本語でフラフラになって物乞いに来たと地元日吉の人たちは話しています。
こうして総延長約1キロの日吉地下壕は、1944年(昭和19年)7月から9月までのわずか3カ月間で完成しました。
真夏の地下での掘削作業は、極度の湿気と高温の中での重労働、さぞかし多くの犠牲者が出たことが推測されます。しかし、その事実を裏付ける資料は無く、その人数と埋葬先が不明です。
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地下壕の内部はキャッチボールができるほどの広さです。 幅4b、高さ3b、天井と壁の厚さ40a。狭い所でも幅約2b、高さ2.5b
右手前が案内人の寺田貞治さん、左手前は私、隣に畑田国男さん
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