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小説を読んで電話をかけてきた岩岡稔さん


生前、本誌の愛読者、グリンメンバーとしてご協力。女優・五大路子さんの実父

映画化された『黒の超特急』



左から藤由紀子、船越英二、主演の田宮二郎、加東大介
「とうよこ沿線物語-新横浜編」から

東京五輪に合わせ田んぼの中に開業した新横浜駅


開通の翌年、昭和40年。自動車工場の長い組み立てラインのような新横浜駅だけが一面の田圃の中に目立つ

 
 旧家の当主に小説の筋書きを話す

 本会「東横沿線を語る会」は2種類の会員制だった。主に雑誌作りと発行した雑誌を配本する会員を「ホワイトメンバー」。その活動を雑誌を一定部数をまとめ買いして外部から支援する「グリーンメンバー」。この2種類の会員さんが『とうよこ沿線』を神輿に見たててワッショ、ワッショと担いでくれていた。
 
 グリーンメンバーの一人に女優・五大路子さんの父上、岩岡 稔さんがいた。岩岡さんは新横浜駅篠原口から5分ほど先、港北区篠原町の旧家の当主だった。新横浜駅で新幹線が発着する光景を見下ろすような高台にあり、駅のアナウンスが聞こえるような家だった。
 そこに毎号新刊を届けていたとき、応接間に上がり、お茶飲み話に私は港北区内のこの辺一帯が小説の舞台に取り上げらている本の筋書きを話した。
 岩岡さんは身を乗り出して真剣に聞いていた。現物のその本が読みたくなったらしく、私に言った。「ワシもさっそくその本を買ってきて読もう!」。

 新幹線のことを「夢の超特急」と呼ぶ前

 小説の名は『夢の超特急』。昭和39年の東京オリンピック開催が近づくにつれ東海道新幹線計画が実現に向かう頃、世間では新幹線のことを「夢の超特急」と呼ぶようになった。なにしろ東京〜大阪間が今までの特急が6時間だったのが3時間にまで短縮されるということで、当時は新幹線の速さは、まさに「夢の超特急」だった。
 
 翌朝、岩岡さんから電話がきた。「岩田さん、菊名駅前の本屋へ買いに行ったけど売り切れで無かったよ。岩田さんがその本を持っていたら貸してくれないかね?」。菊名に所用があったので、その本を岩岡さんにお届けした。

 「小説のあの人間は、ワシの親父だよ!」


 その翌日、また岩岡さんから電話。のっけから受話器の向こうの岩岡さんの声は大きく、興奮しているさまが読み取れた。「夕べ、徹夜してあの本を読んだけど、タマゲたよ〜! あの小説で日本刀を持って『タタッ切ってやるッ!』と怒鳴って追っかけるのは、どうみてもワシの親父だよ、岩田さん! 村のまとめ役だった親父は生前、この話をよくしたもんだよ。その頃、親父は、この小説に出てくる篠原八幡神社の氏子総代だったから、この小説に書いてあることは、みんな本当の話だね〜」。
 
 港北区内の地名や場所が次々登場する小説 

 この小説の舞台は岩岡さんの田圃がある“篠原耕地”で、書き出しは菊名駅前の小さな不動産屋に大阪の開発会社の社長が現れ、土地を買いたいという話から始まる。その後しばらくして、その社長は2台の大型ハイヤーで現れ、八幡神社と菊名天神にそれぞれ1万円の賽銭をあげ、村人の度肝を抜いた。それから、村人を2台のハイヤーに乗せ、綱島の高級料亭でもてなし、その席で土地売買の交渉に及び、仮契約を済ませるのだった。
 この小説にこれら港北区内の地名や場所がポンポン出てくるし、地元の人からみれば○○さんに間違いない、と思われる人物は実名を避け、ローマ字の頭文字にしてある。岩岡さんは、その頭文字がどこの誰だか分かるので、この小説には大変なカルチャーショックを受けたのだった。

 立ち机で書く作家梶山季之(としゆき)とは・・・

 この小説『夢の超特急』の作者は、週刊誌に何本もの連載を書いていた売れっ子、ルポライター兼作家の梶山季之(としゆき)。彼は週刊誌創刊ブーム期に「黒の試走車」「赤いダイヤ」「小説GHQ」などのベストセラー作家で<トップ屋>の異名があった。ルポライターの視点、情報収集力を活かし、事実を徹底的に取材するために何人もの取材スタッフを雇い、それをまとめて原稿にするので、椅子に座って書いていたのでは原稿締め切りに間に合わず、“立ち机”で立ったまま原稿を書いていた。

 事実に裏打ちされた空前の大汚職事件

 現在の新横浜駅前あたりは、湿地で冬の麦作に適さず、稲作だけの一毛作地の“篠原耕地”だった。そこに、アメリカのフォート社と提携する某自動車工場の長い組み立てラインを作るので“細長い土地”が必要なんだ、という触れ込みだった。「駅を造る」という計画は、誰一人知らなかったのである。組み立てラインを作る“細長い土地”をめぐって国、鉄道公団・神奈川県・横浜市の官公庁がからむ実際に起こった空前の大汚職事件に発展していったのである。
 ちなみに時の運輸大臣は佐藤栄作、衆議院議長が西武グループ創立者の堤 康次郎だった。

 映画化後、田宮二郎・梶山季之・美人秘書と3人の死

 この汚職事件を題材にした小説「夢の超特急」は、田宮二郎主演の「黒の超特急」で映画化され、ヒットした。
 その後、劇的な痛ましい死が現実に次々と“主役たち”を襲った。田宮二郎は、銃口を自らに向け猟銃の引き金を足の指で引き自殺。執筆で多忙な梶山季之は、ある日、静脈瘤破裂で急逝。45歳という若さは各層に惜しまれた。鉄道公団の美人秘書も何者かに真鶴で殺され、殺人事件になったが迷宮入りだった。ともに将来ある有能な3人の死は、映画や小説の場面を超える悲惨で劇的なものだった。
 
 新横浜地区は港北区内で“東急王国”の一角。私は新横浜を第17号の「とうよこ沿線物語第13編」に取り上げるため前川正男さんを車に乗せ、岩岡稔さんを訪ねた。
 刷り上った3ページは、地元の新横浜周辺、菊名、大倉山の読者を始め、沿線中の読者から寄せられる反響はすごいものだった。

 
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no.33
事実は小説『夢の超特急』よりも奇なり
本誌編集発行人 岩田忠利

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