校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

MAP:横浜駅・桜木町駅周辺地区

NO.1
明治〜大正〜昭和の横浜駅周辺

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          わが国初の鉄道と横浜駅の変遷



           明治4年、わが国初の鉄道開通の前年、その線路

 手前の家並みは東海道。線路は青木橋の下をくぐり海の埋立地にはいって左手に国鉄「神奈川駅」、大きくカーブした右手が現在の横浜駅(昭和3年に3代目横浜駅として開業)、その先が「初代横浜駅」になります。
 現在の横浜駅西口は、手前の海あたり一帯です。

  提供:横浜開港資料館


              初代の横浜駅

 明治5年(1872)5月7日、日本で最初に開業した初代・横浜駅。元の桜木町駅の所にありました。
 設計はR・P・ブリジェンスというアメリカ人、造りは木骨石張りの2階建て。中央がコンコース、左棟が出札所、上・中等待合室、2階に貴賓室、事務所などがあります。
 
 当時は「横浜ステンショ」と呼ばれ、横浜港と並び日本の表玄関であり、文明開化日本の象徴でした。
 提供:長谷川弘和さん(西区伊勢町)


           2代目の横浜駅

 大正5年(1916)8月15日高島町に開業した2代目横浜駅。
それまで東海道線の急行列車は市街地から離れた平沼駅(現相鉄線平沼橋駅付近)に停車し不便でした。そこで線路を迂回させて2代目横浜駅を建設し、初代横浜駅は駅名を「桜木町駅」と改称しました。
 しかし関東大震災で焼失し、わずか8年の短い命でした。駅前の高架は貨物線の線路です。

 提供:長谷川弘和さん(西区伊勢町)




                       3代目の横浜駅

 昭和3年(1928)の完成時には東洋一を誇った3代目横浜駅。写真は東口。西口は「裏口」と呼び、米軍に接収されていたため開発が遅れ、さびしい所でした。
 3代目横浜駅は、昭和3年の昭和天皇の御大典のお召し列車に間に合わせるため、難工事を1年半で完成させたものです。しかしその出来栄えは、当時のマスコミから「東洋一の新横浜駅」とか「東京〜横浜間では随一の新様式」と、もてはやされました。
 結局、横浜駅は明治5年に日本で最初の鉄道が開通してから昭和3年に現在地に落ち着くまで桜木町駅の地、高島町、そして今の場所と3度も場所を変え、ようやく治まる所に治まった感じです。
  提供:長谷川弘和さん(西区伊勢町)

          関東大震災時の2代目横浜駅(高島町)



  大正12年9月1日、2代目横浜駅が今、大震災に遭い、黒煙に包まれ、大混乱!

 ラジオなどの情報媒体もなくデマが飛び交い、我先に貨車に飛び乗り、逃げ急ぐ人々

 提供:長谷川弘和さん(西区伊勢町)



          人であふれる駅ホーム

 いくら待てども汽車は到着しない。駅員も対応しきれず、パニック状態です。
 提供:長谷川弘和さん(西区伊勢町)



2代目横浜駅は完成後わずか8年1カ月で、倒壊!

 見るも無残な姿に変わり果てました。
提供:山崎ハルさん(六角橋1丁目)




  
        昭和30年、“追い剥ぎ”がでる横浜駅西口

提供:長谷川弘和さん(西区伊勢町)


     昭和30年9月5日、横浜駅の“裏口”と呼ばれていた横浜駅西口

 木造駅舎の入り口に数名の人。ホームに停車中の電車は東横線の電車。駅入り口で土木作業員が何やら穴を掘っている、のどかな光景です。

 


写真上と同方向の横浜駅西口、平成16年撮影

撮影:岩田忠利


 昭和30年、西口駅前は田舎の駅前のように空き地が広がり、客待ちのタクシー2台

 鶴屋町の家並みも2階建てが数軒だけで高島台を一望できました。写真中央の看板「大関」の右手に大宴会場をもつ料亭・田中家の建物が見えます。

 青木町・鈴木写真館の安藤瑛子さんは当時の模様をこう話す。
「戦後、焼け野原となった裏口は米軍に接収され、石炭置き場や石炭ガラの山があちこちにありました。夕方になると、街灯が一つポツンとつく寂しい所でした。父からは『追い剥ぎが出るから、あそこは通ってはいけない』とよく注意されたものでした」




 写真上と同方向の西口駅前、現在2013.6.24

目の前を高層ビルで囲まれ、遠望はヘリコプターでない限り、無理です。
撮影:石川佐智子さん(日吉)

                     西口繁栄の夜明け



         昭和31年4月、高島屋ストア開店

将来本格的なデパートにするためのテストケースとしたストア経営でした。解体が容易な鉄骨ラスモルタル構造です。
 提供:横浜高島屋



 昭和34年10月、売場1万1000uの横浜高島屋開店

 百貨店法に基づく横浜高島屋の営業許可申請は、県と市の小売業者の反対にあい、売り場面積40%減の1万1000uということで許可されました。それでも、地下2階、地上8階の威容は、ハマの新名所となりました。
 提供:横浜高島屋




昭和30年6月横浜駅名品街づくりの工事が始まりました

提供:相鉄本社



横浜駅名品街の現在2013.6.24

撮影:石川佐智子さん(日吉)


  昭和31年4月横浜駅名品街の57店舗が開店

 4月2日の開店日、名品街通りは早朝からの人波で立ち止まることができない賑わいでした。
 提供:相鉄本社
















   
        横浜駅前を走る、懐かしい市電の見納め



昭和46年、ハマの表玄関・東口を走る横浜市電

駅前を走る懐かしい市電は、この年3月20日限りでその姿を消しました。
提供:天野洋一さん(中区本牧元町)

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