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岸谷の名所「三笠園」
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提供:池谷俊保さん(岸谷)
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大正末期の三笠園と防野池
橘樹郡生麦村字岸谷のころ、岸谷には清水が湧き出て溜まる防野池、泉の池、新地という三つの池がありました。これらが、生麦村の水田を潤していたのです。 ところが、埼玉県行田市の山崎積蔵という人が現れ、防野池一帯の土地に目をつけ、地主7名を説得して土地を借り、東隣の遊園地、花月園に対抗し大正9年(1920)、遊園地「三笠園」と名づけて開園したのです。
東洋一を誇る諸施設を備えた花月園が人工的であるのに対し、三笠園は防野池、菖蒲園、桜並木などがある“自然美”に恵まれていることが売りでした。 |
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菖蒲園とアントニオ猪木
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三笠園といえば菖蒲園。何十種類もの花菖蒲が咲きそろう花園
右手の家はアントニオ猪木の生家。彼は、子どものころこの菖蒲園が遊び場でした。幼いころ、父親と死別し祖父に育てられ、一家がブラジルに渡るまでこの家で過ごしました。

写真上の現在
現在は岸谷公園になっています。後方正面が伝統のある「岸谷プール」。
2013.11.8 撮影:岩田忠利
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アントニオ猪木(本名猪木寛至)
元プロレスラー・実業家・政治家(参議院議員2期。現在日本維新の会)
トレーナー:力道山ら。妻:倍賞美津子。
地元・鶴見の小学校を訪ね、子どもたちの前で講演、「アントニオおじさん」で親しまれる一面も。
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防野池の大正期と昭和期
提供:池谷俊保さん(岸谷)
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五輪の水泳予選が開催された大正時代の防野池
この防野池では大正9年(1920)、池にロープを張って水泳コースとし、アントワープ・オリンピックの日本水泳予選大会が行われました。
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昭和25年、岸谷プール
昭和11年(1936)完成時のプール開きには、あのラジオ実況放送「前畑がんばれ!」でおなじみのベルリン・オリンピックの金メダリスト、前畑秀子さんらが見えました。
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大正期、昭和初期の岸谷の通り
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大正9年(1920)、龍泉寺と岸谷庚申塔前の通り
参道入り口に参拝客らしき3人と左手に天秤棒で野菜か魚らしきものを担ぐ人、カスリの着物を着た男の子の姿が見えます。
提供:池谷俊保さん(岸谷)
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写真左の岸谷庚申塔の現在
岸谷庚申塔は新子安〜鶴見線道路の曲がり角にあります。
2013.11.8 撮影:岩田忠利
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昭和6年(1931)、新子安〜鶴見線の道路が完成
後方の山は、岸谷4丁目の土取山(どとりやま)。この山の土砂は大正時代から昭和初期にかけて現在の大黒町や生麦の海の埋め立てに使われたため、右の現在の写真では土取山が低くなっています。
提供:添田有道さん(市場上町)
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写真左の現在地
写真左の石垣のある場所が写真右手の朝日シティバリオ鶴見岸谷になり、後方中央の土取山は、山とは思えないほど低くなっています。
2013.11.8 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和6年、新子安〜鶴見線の道路、龍泉寺前
提供:添田有道さん(市場上町)
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写真左の現在の通り
龍泉寺の石垣は、当時のままです。後方は鶴見駅方面。
撮影:岩田忠利
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