明治中期から盛んだった海苔養殖



大正9年、生見尾村生麦漁業組合海苔惣代

大正2年、海苔組合員400軒、従業員2500人

 明治中期になると貝類と並んで海苔養殖が盛んになりました。ちなみに明治24年の海苔採藻戸数229軒、製造戸数80軒。その後の明治36年、生麦漁業組合が誕生。
 
 大正2年の組合員戸数400軒、従業員2500人に及び、年間平均生産額は貝類が37500円、海苔4万円、伝統的な貝類の売上を上回ったのでした。

 栄養分を豊富に含んだ多摩川の清流が流れ込む大森、羽田、鮫洲などの魚介類や海苔は「江戸前」と呼ばれ美味で有名ですが、生麦の漁場も一級河川、鶴見川の河口であり、江戸前として美味で珍重されました。

  
 大正13年、生麦小学校校舎落成



大正13年(1924)3月4日、生麦尋常小学校上棟式
   提供:池谷俊保さん(岸谷)


大正13年6月、生麦尋常小学校校舎落成

提供:生麦小学校

      キリンビールと国道駅




昭和初期、日本髪姿で瓶詰め作業、キリンビール横浜工場

 キリンビールの横浜・山手工場が関東大震災で崩壊後の大正15年、生麦の埋立地に工場を建設。陸路と運河を利用できる交通の利点や京浜地区という大消費地を控え、躍進を繰り返していきました。

 提供:林 正己さん(仲通)


 昭和9年2月23日、鶴見臨港鉄道全線開通の国道駅

国道駅は屋根がモダンなアーチ型で注目されました。
 提供:林 正己さん(仲通)








           乗り初め




        昭和4年1月2日の乗り初め

 正面中央に正泉寺、鳥居は水神宮、左手前は潮台。船は貝を採る捲(ま)き舟です。
  提供:山崎忠三郎さん(生麦)


    昭和40年の乗り初め式

 海の神、水神様にミカンを投げて奉納する生麦杉山神社の宮司・照本 禎さん

  提供:山崎忠三郎さん(生麦)











第二国道をお通りになる皇太子(今上天皇)




昭和28年3月30日、皇太子の御用車が第二国道を通過する

皇太子は横浜港からエリザベス女王戴冠式に向かうため。
提供:滝川定雄さん(上の宮)



  皇太子ご乗船の船が横浜港出港

 出港するプレジゼント・ウイルソン号を空と海から日英の国旗を振って盛大なお見送り。
  提供:鶴見小学校









              鶴見の新名所、二つ



昭和49年11月3代夫婦2組を先頭に大黒大橋の渡り初め
      
提供:山田武三さん(駒岡)

 3代夫婦は駒岡の山田徳太郎さん宅と、上末吉の清水権造さん宅の各3夫婦。
 海上をまたいで橋長7365b、両側の取り付け部分を入れると、895b。水面から路面まで161bで吊り橋状。塔上までは659bでという大規模な橋は、まさに鶴見の新名所にふさわしい。







昭和50年、横浜の新名所、ベイブリッジの工事も着々と進む     
  提供:生麦小学校



現在のベイブリッジ
   

        生麦事件の現場




      生麦事件の現場付近。江戸末期の東海道

 現在地は神奈川区子安通3丁目の滝坂踏切あたり。斬られたリチャードソンが痛みに耐えかね、上の写真のあたりで落馬したといわれています。                   提供:池谷畳店(生麦)


東海道・生麦 大名行列 錦絵

提供:萩原貞雄さん(市場上町)
   
    
生麦事件の顛末

 文久2年(1862821日、薩摩藩主の父・島津久光一行は総勢四百余人、幕政改革を幕府に要求し意気揚揚と帰途に着きました。東海道は神奈川宿も程近い生麦村にさしかかったとき、江戸見物に向かう英国人4人は刀や槍で武装した武士の行列約百人と出会いました。久光の行列の本隊でした。生麦に入ると道幅は狭く、英国人4人は行列の中に入ってしまったのです。武士の一人が大声で退去を命じましたが、言葉が通じません。
 と、家来は刀を抜いて馬上のリチャードソンを右肩から肋膜、腹部にと斬り下げて殺傷。他の英国人2人も重傷。女性一人も帽子と前髪の一部を斬りおとされましたが、体は無傷でした。

翌年、英国政府は幕府に抗議しましたがラチがあかず、軍艦11隻を横浜港に入港させる強硬手段に出たのでした。あわてた幕府が11万ボンドの賠償金を支払いましたが、英国は納得しません。
 ついに文久3年(1863)8月15日、英国艦隊が鹿児島港に入港し砲弾が飛び交い、戦争に突入したのでした。これがいわゆる「薩英戦争」。双方に損害を出し、結局、和平交渉のすえ、今後幕府は英国から軍艦購入を約束したうえに、賠償金2万5000ボンドを支払い、双方合意し解決したのでした。



  現在、仮移設の生麦事件碑

横浜環状北線建設工事のため平成28年末まで約200メートル鶴見寄りの旧東海道に仮移設してあります。
  2013.11.8 撮影:石川
佐智子さん(日吉)
 


アメリカ領事館に安置されたリチャードソンの遺体

腹部の傷跡が痛々しい。


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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.22
 往年の生麦、点描