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フランク永井の歌と第二国道
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昭和25年、第二国道に架かる響橋(通称めがね橋)
橋の上は鶴見・獅子ケ谷線の道路です。
提供:滝川定雄さん(上の宮) |
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写真左の現在の響橋
2013.11.8 撮影:岩田忠利
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昭和30年、全面開通しフランク永井の歌に歌われた第二国道
めがね橋の上から横浜方面を望む
提供:滝川定雄さん(上の宮)
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フランク永井(本名永井清人)
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昭和7年(1932)宮城県生まれ。低音で魅了し歌謡界に大きな足跡を残した。平成20年肺炎で他界、享年76歳。 |
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歌手を志し宮城県から上京後、進駐軍のキャンプでトレラーの運転手やアルバイトを重ねながら、民放の「のど自慢荒らし」の異名をとる。歌手・ディック・ミネと作曲家・吉田 正に見出され、『夜霧の第二国道』『東京午前三時』を歌う。
その後、昭和32年開店のそごうのキャンペーン・ソング『有楽町で逢いましょう』が大ヒット、すでに発表していた上記2曲までもが便乗ヒット、瞬く間にフランク永井は一躍トップスターにのし上がったのでした。
滝川さんの写真左は、まさにフランク永井の「夜霧の第二国道」世界・・・。
さぁ、口ずさんでみてください。
♫ つらい恋なら ネオンの海へ
捨ててきたのに 忘れて来たに
バックミラーに あの娘の顔が
浮かぶ夜霧の ああ第二国道
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東寺尾5丁目・寺尾小学校
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昭和30年4月、開港当時の寺尾小学校
木造二階建て校舎の周囲に畑が広がっています。後方丘の上に鶴見配水池の水道タンクが見えます。
提供:寺尾小学校
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写真左から24年後、昭和54年新校舎落成
周囲の開発で就業児童数がいかに増えたかは校舎の大きさで分かります。
寺尾小の楽しい校歌
校歌は、とかく堅苦しいものが多い。寺尾小学校のはそれとはがらっと違って学区の地域特性を簡潔に表し、自然に唇からもれてくる軽快で実に楽しい。作曲は学校の近くがお住まいの、鶴見が生んだ作曲家、高木東六先生。作詞は「向う三軒両隣」などの放送作家としても著名な伊馬春部先生。ちょっと触りだけを以下、紹介。
坂 坂 坂 坂 あの坂この坂 どんな坂でも みんなへいき
朝の光の 朝の坂 元気いっぱい かけおりる(以下略)
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東寺尾の風景今昔
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昭和29年、東寺尾3丁目2番付近から白幡神社の山を望む
撮影:斎藤實さん(東寺尾)
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写真左の平成15年時
白幡神社の山(現在は白幡公園一帯)の稜線だけは、昔のままです。
撮影:岩田忠利
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昭和29年、宮代橋から白幡方面を望む
撮影:斎藤實さん(東寺尾)
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写真左の現在
町並みは白幡新盛会、通りの右手がバス停「郵便局前」。右上の稜線上の円形ビルは新横浜プリンスホテル。
2013.11.8 撮影:岩田忠利
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昭和29年、宮代橋から飯山方面を望む
撮影:斎藤實さん(東寺尾)
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写真左の現在
バス通りは飯山商店会。左上の広告塔は第二国道沿いの島忠ホームセンターのもの。
2013.11.8 撮影:岩田忠利
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昭和34年、二百階段上から荒立と二反田方面を望む 提供:國田隆稔さん(馬場)
左端の広い道路を左折した先が第二国道の「二反田信号」。上部は東寺尾6丁目の荒立台です。

写真上と同方向を望む平成15年時
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昭和34年、めがね橋から横浜方向の第二国道、二反田谷方面を望む
提供:國田隆稔さん(馬場)

写真上の平成15年時 撮影:岩田忠利 |
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