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     明治・大正期の旭村の人



    明治時代の旭消防組(現在の消防団)

 前列左から3人目は横溝晋平さん(写真提供者・横溝眞一さんの曽祖父)。

  提供:横溝眞一さん(獅子ケ谷)





     大正9年10月、第1回旭村国勢調査委員

 前列右側から金指八郎右ヱ門、横山四朗、沢野晴久、滝川松之助、美濃部満五郎、小松原正直、横溝誠一、磯ヶ谷太助。   後列右側から田口古平、横溝秀夫、滝川政次郎、兼子基一、阿藤保蔵、増島寅之助、三ツ掘哲董。

  提供:横溝眞一さん(獅子ケ谷)

      鶴見への新道が開通




   昭和6年、鶴見〜獅子ケ谷線の道路が完成し開通

 鉄道路線の鶴見駅へのアクセスが整い、獅子ケ谷発展の第一歩に。後方は現在の獅子ケ谷交差点。
  提供:添田有道さん(市場上町)


     写真左と同方向の現在

 写真左と同位置、鶴見行きバス停「獅子ケ谷」から突き当たりの森「獅子ケ谷市民の森」を望む。
  2013.11.8 
撮影:岩田忠利




昭和6年5月、旧旭小学校の入口。階段上が校舎

道路は写真上の鶴見〜獅子ケ谷線の道路です。

提供:横溝眞一さん(獅子ケ谷)


  写真左と同方向の平成15年時現在

 旭小学校は北寺尾4丁目に移転、写真左の階段だけがそのまま残っています。階段下は、綱島行きバス停「獅子ケ谷」。後方は響橋方面。

  撮影:岩田忠利

   
        三ツ池公園の昔と今



        昭和15年、三ツ池公園。中の池

 写真は横浜洋裁学校の生徒約200人が三ツ池へ遠足したときの情景です。
 当時の三ツ池は池畔に背丈ほどもある茅が生い茂っていました。親たちは子供たちに 「あの池には大蛇が棲んでいる。近寄ると、ひと飲みされちゃうぞ!」と言って近寄らせませんでした

  提供:荻原昇さん(上末吉) 



現在の三ツ池公園

撮影:北澤美代子さん(綱島)











                       在の三ツ池の桜

 染井吉野、横浜緋桜、オカメザクラ、ほかではあまり見られない普賢象という品種など78品種1600本を2月上旬の寒桜を皮切りに、4月中旬まで桜の花を楽しめます。三ツ池の桜は、日本さくらの会選定の日本さくら「
名所100」。
  文と撮影:北澤美代子さん(綱島)


      心和ませる茅葺きの家と花




昭和23年、獅子ケ谷の横溝国治家

提供:横溝恒造さん(獅子ケ谷)




     昭和48年、獅子ケ谷の横溝和子家

 現・横浜市農村生活館「獅子ケ谷横溝屋敷」。家屋敷と前の田んぼを含め「みその公園」に。
  提供:滝川定雄さん(上の宮)



横溝屋敷前に咲いていた白花サギゴケ

撮影:北澤美代子さん(綱島)


道行く人の目を楽しませる横溝屋敷前のアンズ並木

撮影:北澤美代子さん(綱島)


                  二ツ池の昔と今


昭和39年(1964)1月2日の二ツ池     提供:白石謙佑さん(駒岡)



写真上の現在の二ツ池

後方の丘は土砂を削りとられて低くなり、池の周りの樹木が生長、景観は変わっています。
2013.11.8 撮影:岩田忠利

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     「獅子ケ谷市民の森」のキノコたち


                              取材・撮影:岩田忠利



傘の色が緑色、アイタケ(藍茸)

アイタケのクセのない味で汁物、バタ炒め、グラタンに合う。


純白のオオイチョウタケ(大銀杏茸)

食用可。






傘の色が狐色、キツネタケ(狐茸)
食用可。









成菌の傘が黒くなるクロハツ(黒初)

ハツタケの仲間で写真のように群生していますが、成菌は黒くグロテスク。
食不可。








柄が長く白色、コテングタケ(小天狗茸)

食不可。





可愛い茸が束生するニガクリタケ(苦栗茸)

かわいいキノコも身を守るため猛毒があります。毒茸










毒キノコ集団、テングタケ(天狗茸)の一種

猛毒です。





5種あるナラタケの中の、ワタゲナラタケ(綿毛楢茸)

食用。



最初に出合ったザラエノハラタケ

獅子ケ谷の森の中を30分歩いてみつけたキノコ。名前の「ザラエノ」はフランス語のsalade du porc からとか。食可だそうですが、人により胃痛を起こすとか。

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NO.17
 豊かな自然と獅子ケ谷の人、その情景