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520年前から駒岡の住民を見守ってきたスダジイ
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駒岡八幡宮・本堂の甍のはるか上にそびえるスダジイ
横浜市指定名木古木。樹齢520年(推定)、樹高15b
スダジイはブナ科シイ(椎)属で暖地の福島・新潟以西の本州・四国・九州に見られる常緑広葉樹です。駒岡八幡宮のこの木は本殿左手入り口に一本立ちしていることから見て、この社の創建時に植樹したものと思われます。
横浜市の樹齢の算定を実測が難しいため指定によって決めています。その推定はその樹が生えている場所の故事来歴などによっています。
520年の樹齢は、駒岡八幡宮の創建の来歴を推定したと思われます。今から520年前といえば、室町時代(足利時代)延徳元年(1489)です。それ以来、このスダジイは駒岡の住民の暮らしを見守ってきました。
2009.8.17 撮影:岩田 忠利
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「お穴様の参詣客、一日1万人」と新聞報道
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提供:秋山 要さん(駒岡)
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明治41年(1908)、駒岡のひょうたん山。中央の家の隣がお穴様
中央の茅葺きの家は秋山 要さん宅。
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明治41年(1908)、お穴様の賑わい
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昭和44年、お穴様の61回供養
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駒岡瓢箪山遺跡、通称「お穴様」。その往年の繁盛ぶりは地元で幾度となく耳にしたので現地を訪ねてみました。上の写真の瓢箪山は宅地造成で切り崩されて平坦で閑静な住宅地に変わり、往時を偲ぶ面影はありません。しかし、道案内の秋山要さんのお話や資料を総合すると、先の見えない現代では大変興味深い話です。
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話は明治40年4月4日のこと。駒岡町の岩瀬にある瓢箪山を切り崩しその土を鶴見川の船便で海の埋め立てに利用しました。その掘削中、たくさんの丸石を取り除くと六尺四方ほどの“穴”が発見され、その中から人骨、鏡、土器、勾玉、管玉、埴輪、直刀などが出てきました。いわゆる古墳です。
ところが、地元が騒然とする話題が広まったのです。あのたくさんの丸石を大八車で自宅に運んで石垣にした者がいて、石垣を積んだ直後急死したという噂が立ちました。
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しかも、山崩しを手伝った者も発熱で寝込んでしまったという噂とも重なって村中の大評判に。
その噂を聞いた盲目の老女は「罰が当たるほど霊力がある神様なら、信心したら私の眼も治るだろう」と参詣祈願したところ、たちまち眼病が全快、帰りは杖を捨てて帰宅したというのです。
こんどはこの朗報の噂が広まって我も我もとお穴様詣でをする人が増えました。その中には宝くじに大当たりした者や米相場で大儲けした者も……。少々眉唾な話ですが、愛馬の病気祈願をした農夫が毎日信心したところ、不思議にも全快! 喜んだ農夫はその馬を連れてお穴様にお礼詣で。すると、その馬はお穴様の前で突然、前脚を折り曲げて、お辞儀したというのですが……。
当時、現東京新聞は「一日の参拝客1万人以上」と報道。「線香の煙は天高く上り、川崎駅の方からも見えた」と報道したのでした。
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江戸期の安永6年(1777)創建の庚申塔
提供:小山和雄さん(駒岡)
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庚申塔の再建
駒岡4丁目の市営駒岡住宅4号棟近くの崖下に江戸時代中期、安永6年(1777)に村人有志が建てた庚申塔があります。庚申信仰が途絶えた現代にあってもその庚申様は幾多の激動の時代を乗り越え、静かに世情を見守ってきました。
それがこのほど、周囲の再開発を機に地元有志と横浜市の手で再建されました。

平成13年正行寺白石謙祐住職を迎えて落成法要
提供:小山和雄さん(駒岡)
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明治・大正・昭和、駒岡の人
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明治42年、小山金次郎さん
日露戦争時の特務曹長。
提供:小山章一さん(駒岡)
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大正9年、徴兵検査記念
前列左から2番目、小山松太郎さん。
提供:小山章一さん(駒岡) |
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大正12年、母と子
美人ママとお人形のような女の子は、駒岡の美濃部弁次郎夫人と娘。
提供:小塚 勇さん(駒岡) |
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昭和2年、神戸でトラックを買って駒岡まで運転してきた小塚広吉さん
提供:小塚 勇さん(駒岡)
このトラックの車輪のフォークやドアー、荷台が木製であることにご注目!
昭和2年に汽車で神戸に出向き、神戸ゼネラルモータースで このトラックと出合い、即金で購入、そのまま神戸から駒岡まで乗って帰ってきたそうです。
その後、このトラックを元手に川崎大師の裏門前で「小塚運送」を営み、鶴見や川崎、綱島あたりの桃や作物を市場まで運搬、繁盛していました。
小塚さんの車は東京瓦斯電気工業製で車名は会社名を略して「T・G・E」、そのA型トラック。東京瓦斯電気工業は後の日野自動車工業です。
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昭和13年、大モテのタクシー運転手・小塚助夫さん
提供:小塚尚男さん(駒岡)
助夫さんは上の写真の小塚広吉さんの甥。その叔父から運転を習い、川崎大師裏門前で「小塚タクシー」を開業していました。個人タクシーのはしりで大モテ、お客さんのチップでポケットはいつもパンパンに膨れ上がっていました。
その常連客の一人に川崎が産んだ往年の映画スター、川崎弘子がいたそうです。
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昭和8年のお花見
土手の桜並木、耕地整理済みの田んぼ、そして芸者さん。この3条件を満たす花見の場所は当時、温泉町として知られた綱島。酒宴の場が満開の桜をバックにした田んぼの畦道、芸者のつまびく三味線の音色・…‥、なんとものどかで、風流なお花見でしょう。
提供:小塚 勇さん(駒岡)
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綱島の鶴見川土手をバックに酒宴の始まり
一升瓶を囲んで芸者がつま弾く三味線音色・・・。
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宴もお開きとなって談笑する皆さん
左端は小塚勇さんの父・武夫さん。隣が日頃生徒に厳格なことで知られた、旭小学校の加藤英三郎先生。
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昭和17年晩秋、大豆を選別する祖母と孫
トメおばあちゃんと孫の小山(飯島)房吉さん。
提供:小山章一さん(駒岡)
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昭和27年3月、小山章一さんの元への嫁入り
花嫁は小山(旧姓も小山)シズさん。
提供:小山章一さん(駒岡)
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昭和31年1月重さ10キロの纏を振って歩く
小山和雄さん
提供:小山和雄さん(駒岡)
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昭和48年1月、駒岡囃子連中の獅子舞
江戸時代から続いていた駒岡囃子の獅子舞は笛、鉦、太鼓で一組。それが二組編成でお正月には東寺尾、鶴見、末吉、川崎方面など各地に呼ばれて獅子舞を披露してきました。昭和50年、後継者不足で余儀なく解散。
写真は、駒岡小学校で。獅子は山田武三さん右から太鼓:山田徳太郎さん、鉦:鈴木喜一さん、笛:西田実さん、説明役の岸房夫さんと稲葉晴三さん。
提供:山田武三さん(駒岡)
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昭和54年6月鶴見区最後の田植え、小山孝家の水田
田んぼは駒岡4丁目。ご本人は手前の人。提供:小山 孝さん(駒岡)
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