
昭和21年、皆で豚を飼って栄養補給!
翼賛壮年団矢向・江ヶ崎分団の神田班の人たち。矢向では養豚場は神田町(矢向6丁目)と本町(矢向3丁目)に、江ケ崎は黒川宏さん宅付近に養豚場がありました。
提供:鈴木重利さん(矢向)
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養豚で動物蛋白を摂った終戦後
深刻な食糧不足の終戦直後、米・野菜・魚・砂糖・味噌・塩など殆どの食糧が配給制でした。肉類など滅多に食卓にのることはありません。
そこで、翼賛壮年団矢向・江ヶ崎分団では動物性蛋白質を摂るために団員が協力し合って3カ所に養豚場を作り、各10頭ほどの子豚を飼いました。養豚場ごとに2人1組の当番が家々の残飯や食堂の食べ残しを自転車で回収して歩き、豚の餌にしました。 こうして手塩にかけて育てた成豚は屠殺場で精肉にしてもらい、それを毎戸に配給し栄養不足を補ったのでした。

残飯の必要性を図解で説明する分団員
提供:鈴木重利さん(矢向)
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