校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利
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NO.9
鶴見川の潮鶴橋と潮見橋、人々の営み
材木業者が多い潮鶴橋付近
提供:小原孝之さん
(小原木材社長。鶴見中央)
昭和40年、潮鶴橋から鶴見川の下流、河口方面を望む
川岸に係留した筏(いかだ)やたくさんの材木が見えます。
潮鶴橋から下流を望む現在
2013.10.27
撮
影:石川佐智子さん(日吉)
昭和40年潮鶴橋きわにあった小原木材・製材工場
製材所と材木店が多い鶴見
昭和初期の鶴見川河口付近には製材工場が多かった。川岸に浜本、潮田、石田、芦穂崎、野村、鶴見、社寺などが並び、河口や海岸沿いに秋木、太陽、桟橋、峰岸などの大工場もありました。中でも「社寺工務所」は神社仏閣の用材専門、鶴見製材は米国産の松の注文材専門でした。
製品は川岸から伝馬船で東京の木場へ、また鶴見駅出しで西は静岡、東は関東一円、遠<は北陸または北海道、東北方面にも出荷していました。
鶴見川沿岸に製材工場がなぜ多かったかは、まず交通の便、運搬条件に恵まれていたことです。海外から入荷する原木がすぐ近くの横浜港、流れの緩やかな鶴見川、東海道線鶴見駅と鶴見線各駅などの船便、川便、陸路と絶好の交通の要衝に位置していることです。
鶴見区内には材木店も実に多い。これは大正期から埋め立て地に進出した大企業の工場労働者向け住宅需要に支えられた点がその理由です。
製材の順番を待つ川岸の筏
初代・3代・4代の潮見橋
明治44年架橋、初代の橋の
大正時代、潮見橋
提供:本町通商店街協同組合
昭和29年木製からコンクリート製へ架け替え工事
潮見橋から本町通1丁目を望む。
提供:本町通商店街協同組合
第3代目架橋、
昭和30年10月1日、渡り初め祝賀に集まった傘の花
鶴見川をまたぐ長さ123㍍、幅12㍍のコンクリート製、3代目の橋です。鶴見中央3丁目から本町通1丁目方面を望む。
転載:神奈川新聞
昭和31年、潮見橋を渡る戸田家の家族
提供:戸田国吉さん(本町通)
平成21年11月完成、第4代目潮見橋
地域のイベントができるにした広い歩道4㍍~6.3㍍(両側)がこの橋の特徴です。全長125㍍、車道幅員7㍍、総幅員15㍍~19.6㍍。
2013.10.27
撮影:石川佐智子さん(日吉)
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