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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

NO.24 都筑区の風俗編(青年、子ども、車、茅葺きの家)

              時代を映す青年の服装


昭和7年、当時流行っていたバイオリンを演歌師もどきに弾いてみせる東山田の栗原良雄さん
  提供:関 敬一さん(勝田南)



昭和7年当時、流行の先端をいく若者スタイルはこの“二重回し”というマント。羽織の上からはおる
 提供:関 敬一さん(勝田南)



     昭和108月、勝田青年団の箱根旅行

 洋服よりも和服の青年が多い。帽子は鳥打帽、カンカン帽、ソフト帽とそれぞれ、長髪の人は帽子をかぶらず、みな個性的
。生活にゆとりが感じられます。

  提供:関 敬一さん(勝田南)





昭和19年、戦時中の勝田の青年たち、旅行スタイル

 坊主頭に国民服、脚にゲートルを巻き、地下足袋の青年も。これも、荒れ狂う戦争のなせること。
 提供:関 岳夫さん(勝田町)



 昭和19年、中川尋常高等小学校同級生の入隊祝い

 男性の同級生は全員戦闘帽に国民服。女性は着物にモンペ、白足袋に下駄履き。戦火がいっそう激しくなったことが全員の服装や表情からうかがえます。                  提供:栗原毅さん(南山田町)



昭和23年、佐江戸青年団が祭礼に演芸会を開いたとき

 終戦から3年が経ち、総勢86人の服装はすっかり個性的になり華やかになりました。
  提供:並木誠久さん(佐江戸)






     昭和の子どもたち、40年の歩み



 昭和15年(1940)、中川町の子ども

カスリの着物は中川町・吉野利春くん兄弟。
 提供:金子政子さん(中川町)


昭和17年、勝田町の子ども

提供:関 岳夫さん(勝田町)









昭和30年、泥んこ遊びは勝田の子

提供:関 岳夫さん(勝田町)


昭和34年南山田町西谷戸の栗原家の池でエビガニ釣り

提供:栗原武夫さん(南山田町)


昭和35年、籾殻(もみがら)遊び

提供:関 岳夫さん(勝田町)





昭和48年、牛久保中町の子どもたちのタコ回し

提供:関 利治さん(牛久保西)


         昭和51年、どんど焼き

 枝に刺した餅を持ってきた子どもたちが牛久保中町広場で。現在地は牛久保西公園。

 提供:関 利治さん(牛久保西)


昭和58年、フィリピン少年野球チームを招待し国際親善少年野球中川地区大会を開く。
 
 提供:関 利治さん(牛久保西)





      発達が急速だった乗り物



  昭和11年、勝田〜新丸子駅間を昭和7年から走っていたバス

 T型フォードのボンネットバスの定員は10人ほど。乗り遅れるとバスの停留所でなくとも乗せてくれました。和服全盛時代にモダンな洋服の運転手と車掌は沿線の“有名人”でした。
 提供:前田理容室(東山田町)


昭和2年、英国製オートバイ「アリエル」

国産オートバイは無く、外車。乗るのは池辺の元木書店・元木孝吉さん

 提供:元木 豊さん(池辺町)





昭和20年、牛に引かせていた荷車(牛車)

提供:鈴木宏三郎さん(勝田町)


昭和30年左の牛車からダイハツ三輪トラックに替えました

  提供:鈴木宏三郎さん(勝田町)


      昭和32年、商店主のツーリング

 ホンダ・オートバイ150ccで中川地区商店主たちが長瀞、富士五湖、昇仙峡、伊豆半島などへツーリングしました。

  提供:関 岳夫さん(勝田町)



昭和49年、祭りの山車をトラックの荷台に乗せて町内を回ります

運転手は中川町・吉野兵三さん、左が弟・修二さん。
  提供:金子政子さん(中川町)


    茅葺きの家は、地域の有形文化財



 昭和13年、母屋は室町末期作の関東最古の民家(現存)。国の重要文化財指定

 勝田町の関 篤治家(現恒三郎さん)。手前は来客の応対や儀式のときに使う書院(現存)、その後方が母屋。
 提供:関 恒三郎さん(勝田町)


昭和15年、勝田町・鈴木 進家

提供:鈴木 進さん(勝田町)




昭和39年、茅ヶ崎杉山神社裏の北村正晴家

提供:北村 博さん(茅ヶ崎南)


昭和49年、江田〜中山線バス停牛ケ谷戸前の志村正雄家

当主は志村徳司さんです。
提供:志村徳司さん(荏田南)





平成13年10月現在、中原街道沿いにある池辺町・田丸保男家

 撮影:岩田忠利


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都筑区編 終わり