戦後の渋谷名物、空中電車と渋谷西村


              昭和27年1月、空中電車「ひばり号」

 昭和26年8月、東横百貨店屋上と玉電ビル屋上との間を往復する観光用ロープウェイ「ひばり号」が出現、子どもたちに大変人気がありました。
 全区間75メートル、ゴンドラ1台、定員12人。黄色とオレンジの流線型のゴンドラから渋谷の街を見下ろす醍醐味に、連日チビッ子たちの長蛇の列が続きました。
 提供:白根記念郷土文化館


 昭和27年、渋谷西村

ハチ公前に次ぐ、渋谷でのもう一つの待ち合わせ場所は「西村フルーツパーラー」でした。
 ここが改装されたのは、昭和26年11月。1階が果実店、2階が当時近代的な店舗として世の注目を集めました。

  提供:渋谷西村(道玄坂2丁目)












   
     閑散とした246号線、渋谷から代官山まで一望


      昭和34年、246号線と桜丘町・南平台町方面を望む

 右手の大きなビルは東急本社。246号線の交通量は少なく、道路沿いに駐車中の車が見えます。高層ビルがなく、代官山まで一望です。

 提供:加藤昭一さん(桜丘町)


  写真左と同方向の昭和61年10月

 目の前に東急プラザのビルが建ち、その背後に東急本社ビル。246号線の上を高速3号渋谷線が走る景色に変わりました。
 撮影:「とうよこ沿線」編集室 一色隆徳(祐天寺)





昭和38年6月、渋谷駅の上に首都高速道路を造る難工事

電車・バス・車・人が通るなか、その上での工事です。
提供:岸 一さん(渋谷本町)


  写真左と同方向の昭和61年10月

 完成後、一日も休むことなく膨大な量の車が走る高速3号渋谷線。
  撮影:「とうよこ沿線」編集室 一色隆徳(祐天寺)






      
         東急文化会館が渋谷ヒカリエに変身


  昭和31年12月21日、東急文化会館オープン

 東口を代表する文化施設として当時注目されました。右は246号線です。
 提供:岸 一さん(渋谷本町)





   写真左の現在地は、渋谷ヒカリエが建つ

 左の東急文会館は平成15年(2006)に閉館、建物が取り壊されました。跡地に平成24年、新複合ビル「渋谷ヒカリエ」が開業しました。

 2013..5.24 撮影:石川佐智子さん(日吉)


                 昭和40年、東京オリンピック翌年の渋谷

 東京オリンピックの熱も冷めやらぬ翌年、山陽特殊鋼の倒産が高度経済成長の終わりを象徴する事件といわれました。しかし、渋谷の街にはビルや道路の建設ラッシュが続き、ダンプとミキサー車が走る本格的な開発の始まりでした。
 それまでの渋谷といえば、道玄坂の百軒店と映画館街、それと円山町の花街という大人の文化が漂う街、その背後に南平台や松涛の高級住宅地を控えたエリアでした。渋谷の開発が新宿や池袋にくらべ遅れた原因があります。街区が放射線状であること、坂や小道が多く、工事がやりにくく開発業者が敬遠してきたことが挙げられます。
 提供:粉川 忠さん(神泉町。東京ゲーテ記念館)

校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

画像をクリックすると、拡大されます。拡大後は左上の戻るボタンをクリックしてください

NO.8 昭和27年〜40年、復興から成長期の渋谷

TOPに戻る

NO.9 へ