校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.5 27年前(昭和61年)の代官山、その“顔”いろいろ


  ガス工事中、発掘された徳利

 この徳利は代官山町7-5の桜井芳江さん宅前の私道でガス工事中に出てきたもの。「下渋谷」と書かれた地名は、どうやら現在の代官山や渋谷を指すようです。 
 
 渋谷区の公式ホームページには、 すでに戦国時代に下渋谷・原宿・千駄ヶ谷・幡ヶ谷に村落が発達し、徳川時代には下渋谷・原宿はいわゆる江戸御府内に属し、もっとも開けた存在でした、と書かれています。
 「下渋谷」は、のち明治22年に上渋谷と中渋谷と合併して「渋谷村」となりますが、他の2地域よりもかなり早くひらけた所だったようです。
 提供:桜井芳江さん(代官山町)


正5年、松直商店のブランド「谷渡り人物印ズボン釣」

 NO.1で紹介の松岡直治郎さんの会社「松直商店」です。このユニークな商標は、両端を吊ったその上を人が綱渡りしても大丈夫、とその頑丈さを表しています。
 白いワイシャツ姿の昭和天皇が皇居の田んぼで田植えをされたり、葉山御用邸で魚の研究をなされるとき、ズボン釣りをよく着用されています。そう、それはこの谷渡り人物印のもの。この会社が昭和初期から昭和天皇への献上を続けてきたのです。
 提供:グランドキャニオン梶i猿楽町










                        
                            代官山を変えた“3つの波”


 薩摩藩の西郷隆盛の弟・西郷従道の屋敷跡

 旧山手通り沿いにある西郷従道の屋敷跡、西郷山公園。最寄り駅は代官山駅ですが、行政区が目黒区青葉台のため「目黒区編」NO.20で掲載しました。
 
代官山を変えた“第1の波”は、この薩摩藩の西郷従道のお屋敷に代表されるように明治維新の頃、長州や薩摩藩の武士の屋敷や別荘が次々建った時代です。
  撮影:「とうよこ沿線」編集室





















   東急代官山アパート

 “第2の波”は、昭和2年東横線が開通し代官山駅も開業しました。交通の至便さからこの年1月に337戸の代官山同潤会アパートが完成した昭和初期の時代でした。



雑誌を手に代官山を訪れる女の子たち

 写真上の東急代官山アパートが建ち、そこに芸能人たちが住んだことでマスコミ取材が増えました。そこにスタイリストたちに目をつけられ、しゃれた店が進出。それをファッション雑誌などが取り上げ、その店を訪ね歩く若者で町の繁華性が一気に高まりました。これが高度成長期から昭和60年代にかけての“第3の波”。


                
沿線のどこの街よりも緑が多い代官山


目抜き通り、八幡通りの街路樹が茂っています

撮影:「とうよこ沿線」編集室・一色隆徳














レストランの前は“緑のトンネル”

撮影:「とうよこ沿線」編集室・一色隆徳



広い旧山手通りは両側に槐(えんじゅ)並木

撮影:「とうよこ沿線」編集室・一色隆徳


写真左の現在の旧山手通り

左側にヒルサイドテラスのA棟からE棟が並んでいます。

2013.5.17 
撮影:岩田忠利










    道しるべを兼ねるお地蔵さん

 代官山交番近くにあるお地蔵さんは、江戸時代の文政元年(1818)からここに鎮座しています。右のお地蔵さんの台座に「右大山道 南無阿弥陀仏 左祐天寺道」と刻んであります。
 地蔵の背後の道は「目切り坂」または「暗やみ坂」と呼ぶ急坂で、その先の目黒川を渡って北が大山道、今の246号。南が祐天寺道、東が八幡通りの並木橋です。
 江戸時代のこの辺りは人家が少ない寂しい所で、旅人はこの道しるべを見て安心したようですが、現代の旅人こそ代官山の人混みと雑踏を逃れ、手厚く祀られているこのお地蔵さんに出会い、心の安らぎを覚えます。
  2013.5.17 撮影:岩田忠利


木々の間をリスが飛び回っていた道

撮影:「とうよこ沿線」編集室・一色隆徳














        
店舗デザイン・品揃えなどに個性的な店が多い代官山  



    代官山の“コア・ゾーン”、ヒルサイドテラス

 オーナー・朝倉徳道さんが建築家・槙文彦さんに依頼し昭和44年から10年を要してA棟からE棟までの商業・文化施設を完成させました。建築学会賞、日本芸術大賞を受章するなど高い評価を受けた建物です。




日本唯一のクリスマス用品専門、クリスマスカンパニー

左のヒルサイドテラスのB棟です。




 アンティーク・ドール、創作人形の店、佛蘭西館

 喫茶コーナーがあり、お茶を飲みながらたくさんの人形をじっくり楽しめます。
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 ★27年ぶりに訪れた代官山、街並みの想像以上の変わり様にまったく“浦島太郎”の心境でした。二十人以上もいた店や会社の顔なじみにひと〜りも会えませんでした。高齢で亡くなった方は致し方ありませんが、以前その場所にあったはずの店が、そこに無い。再会を硬い握手で喜び合うのを期待していたのに……。ホントに寂しいものです。皆さん、どこへ行ってしまったのでしょうか。
 
 女性に人気のあった仏蘭西館もそうでした。キョロキョロしながら並木橋まで捜しましたが、無い。「この場所にあったはず……」と床屋さんのご主人にうかがうと「隣のブティックがそうでした。今は軽井沢にいますよ」でした。
(岩田忠利)


  明治38年創業、レーズン・ウィッチの元祖、小川軒

  レーズン・ウィッチは事前に数量を連絡し予約で買える、洋風懐石料理の高級レストランです。















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