水量豊富な井戸
目黒の東山に住んでいましたが、目黒川がしばしば氾濫するので高台の代官山に両親が土地を借り、明治45年にここに家を建て大正元年8月1日に引越してきました。
当時この辺一帯は麦畑とスイカ畑。東側には牛小屋があってその近くに湧き水が出ていました。井戸は高台なのに水量が豊富で、しかも水質が非常に良かったですね。
ある時、わが家で井戸に物を落としたために井戸替えをする羽目になったのですが、汲めども汲めども水量が減らない。電動ポンプを借りてきてやっと……ということもありましたよ。
現在のトモエ薬局のあたりに水車小屋がありました。水車を回していた川の流れは八幡通りの下をくぐつて、代官山駅の方へ流れていました。いつ頃だったか、この水車小屋が取り壊されるというので、わが家では記念にその石臼を譲ってもらいましたよ。
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庭の植え込みにある石臼を指差す福田三郎さん(真興社・社長。取材時83歳)
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西郷従道さんのお子さんと友だち
私がお茶の水にある女子高等師範付属小学校に通学している頃、学習院に通っている西郷さん(西郷隆盛の実弟・西郷従道さんのこと) のお子さんと仲良しになり、お屋敷へよく遊びに行ったものです。邸内での遊びはいつも火薬銃でハトを撃ったりして。
当時、西郷従道さんは国のいろんな大臣を歴任していた偉い人でしたから、お屋敷内には警備の巡査が何人もいました。でも、西郷さんの坊ちゃんと一緒ですから取締ることもできず、ただ笑っているだけでしたねえ。
40〜50人のお妾さんを抱える“岩谷天狗”
八幡通りに面して岩谷天狗″の大きなお屋敷がずーっと続いていました。岩谷という主人が全国を相手に天狗煙草″というタバコを販売し一代で財をなしたのです。代官山では大人も子どもも、この人のことを「岩谷天狗」、そう呼んでいました。
お屋敷には真っ赤な大きな門がありまして、奥には旅館みたいな建物が両側にずーっと並んでいました。これが、なんとお妾さんの部屋なんです。その人数は40人とも50人ともいわれていましたからねえ。さながら江戸城の大奥みたいでしたよ。
また、岩谷天狗″といわれた主人のご出勤は印象的でしたね。真っ赤な着物を着たご本人がお妾さんを両側にお伴させ、馭者(ぎょしゃ)付きの馬車に乗って朱色の門を出ていく光景……これは子供心に強烈に焼きついています。
取材・文 岩田忠利
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