NO.11 高級住宅地、久が原の人と情景

MAP:久が原駅地区

校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏/ 編集・文:岩田忠利

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             昭和初期の久が原



   昭和7年、消防車を導入した東調布町消防組第2部

 消防車はフォード製。消防組第2部は鵜の木・西嶺・東嶺地区が所属。撮影場所は現環八沿い、白山神社前派出所の所。そこに火の見やぐらと消防小屋がありました。
 提供:天明吉治さん(南久が原2丁目)









  
  消防車導入後の珍事

  昭和7年、「東調布町」といっても農家ばかりの純農村。自転車も貴重な時代にフォード製の消防車が村に導入されるというのだから、大変な騒ぎだった。 まず問題は、1000円という車両代の捻出。どこの農家でも食糧はあっても現金がない。町議会の決議で町費負担でなんとか購入したが、次の間題は消防組の組員が果たして運転することができるかどうか……。
 幸い、小宮卯三郎さん(現東嶺町)が免許を持っていたので指導することになった。平地はみな、難なく運転できた。ところが、嶺や鵜の木地区は坂が多い。坂道発進どころか、前へ進むよりは後に下がるので危険でしょうがない。
 「箱根十国峠なら坂が多く、運転練習には最適だ!」と組員の一人が提案した。皆が賛成し、箱根まで行くことに。
 代わる代わるハンドルを握ってなんとか箱根十国峠まで行った。そして帰路に向かっているときのこと、「車が臭い! ヘンな臭いがする!」。エンジンブレーキを使うことも知らず、ブレーキを踏みっぱなしで走ったためにドラムが真っ赤に焼け、消防車が燃えだす寸前。川崎の森自動車に飛び込んでドラムの張り替え修理を終え、帰宅したのは真夜中であった。
 それから数日経つと、町議会で大変な問題が起きたのだった。組員たちが浮かれながら箱根十国峠で消防車を走らせている時、その現場を湯治に来ていた某町会議員に目撃されていたのだった。

 「町費を出して購入した消防車を、組員が箱根で乗り回して遊んでいる!」
 町長は、その議員から町議会でこっぴどく吊し上げられたのである。



昭和初期の六郷用水の上郷橋

提供:天明吉治さん(南久が原2丁目)



    
    上郷橋付近の自然


                      天明吉治
 
 子どもの頃の鵜の木地区は、六郷用水の3つの橋、上郷・中郷・下郷と3地区に区分され、鵜の木駅のあたりは「河原」と呼んでいました。
 上郷橋の際にあった私の家のあたりは川幅が広く、6メートルほど。ナマズ、ウナギ、コイ、フナ、タナゴ、ハヤ、シジミがいて、登校前によく釣りをしました。
 夏のホタルが出る頃には、俳人の中村楽天さんがよく家に遊びに来て、庭にムシロを敷いてその飛び交う様を家族みんなで楽しんだものでした。


写真左の上郷橋あたりの現在(2013.4.1)

手前はすぐ環八に突き当たります。
撮影:岩田忠利



    昭和十年代の東京慈恵医大予科キャンパス

 同校資料にこんな記事があります。
「久ケ原駅の東南250米に位置する千鳥ケ丘と呼ばれる高台で、グラウンドの東南隅には貝塚があり頂には老松が聳えていた。そのかなたに森が広がる。西へ千米程行くと多摩川べりに達する。周囲には民家も少なく、田圃を逍遥すれば青春の胸に浩然の気が漲ってくるような自然環境だ」
 写真提供:東京慈恵医大


   左の東京慈恵医大予科があった現在地

 現在地は南久が原1丁目にある大森第七中学校のグラウンド(写真右)に、当時校舎だった所は住宅地になっています。
 2013.4.1撮影:岩田忠利





   昭和9年、「大多摩川愛桜会」の人々

 上沼部の落合峯吉さんは「丸子橋から羽田までの多摩川岸を桜の名所にしよう!」と各青年団に桜の苗木200本ずつを無料配布しました。写真は植樹後の生育状況を多摩川畔の松籟荘前で視察中の一行です。
 提供:天明吉治さん(南久が原2丁目)


昭和14年10月、東調布警防団第2分団の防空訓練

場所は東調布第3小学校の校庭です。

提供:天明吉治さん(南久が原2丁目)



                 戦後の久が原と現在



     昭和26年、久原小学校を望む

 高台に建つ学校の南側、その低地には茅葺きの農家が並ぶ自然豊かな農村風景でした。しかし現在、同方向を撮影しようと歩きましたが、住宅が建て込み撮影できず、右に平成3年の写真を掲載します。
 提供:順一さん(久が原2丁目)


  写真左久原小学校(右)。平成3年2月撮影

田園風景から住宅街へと変わったなか、ケヤキだけが当時の面影を残しています。
 撮影:岩田忠利



昭和29年、駅前の末広通りを駅方面を望む

左手があかねや呉服店、右手は秋庭商店・倉方雑貨店。
提供:あかねや呉服店(東嶺町)


写真左と同じ駅方面を望む現在(2013.4.1)

撮影:岩田忠利、



  昭和29年、末広通りを駅前から環八方面を望む

 末広商店街ですが、町並みはアパートや戸建て住宅が大半です。右手が加藤米店。
 提供:あかねや呉服店(東嶺町)



写真左と同じ駅前から環八方面を望む現在(2013.4.1)

撮影:岩田忠利、


             久が原在住の文化人


    昭和33年、久が原在住の文化人の集まり「久が原叢々会(そうそうかい)」

 久が原には文化面の各分野で活躍する有名人が多く住んでいました。地元の素封家夫人・平林久子さん(前列中央和服の女性)が呼びかけ、昭和33年に会をつくりました。

NHK連続ラジオドラマ「えり子と共に」の声優・阿里道子、NHKとんち教室の青木一雄アナウンサー、俳優・伊豆肇、女優・川上康子、日本舞踊家・花柳寿恵幸、映画監督・池田義信(女優・粟島すみ子の夫)、政治評論家・山浦貫一、詩人・大木敦夫、作詞家・野村俊夫、日本の社交ダンス草分け・玉置信吉、東調布信用金庫・長久保理事長らが勢ぞろいしました。
 提供:阿里道子さん(写真最前列左から3人目。東嶺町)

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