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昭和9年((1934)東京高校開校当時の鵜の木駅
畑の中にあった鵜の木駅。同校は前年11月25日に地鎮祭を行い、翌9年の新学期から授業を開始しました。
当時の先生、近藤広さんはこう回顧しています。
「校舎敷地に小屋を建て、神田から毎日交代で教員が詰めて応対しました。なんといっても、周りは一面の畑で家はほとんど見当たらない鵜の木でした。心細いこと限りなく、冬の最中の生徒募集だけに寒さがひとしお身に染みました」
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写真左の鵜の木駅の現在(2013.4.1
撮影:岩田忠利
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開校前年、昭和8年6月、イモ畑をゆく目蒲線1両電車
車窓に人影が見えず、ガラ空きのようです。電車左後方に見える建物は開校前の同校校舎。
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昭和8年、同校西隣の多摩川を往来する砂利運搬舟
多摩川で採掘した砂利は、矢口の先の秋元砂利問屋まで帆かけの砂利運搬舟で運びます。一年中、水に浸かって砂利を掘る“砂利掘り(じゃりっぽり)”といわれたこの仕事は、過酷そのものでしたが、稼ぎは少なくとも土工の3倍になる、歩のいい商売だったと、川崎の古老たちは言います。
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昭和9年、同校西隣の多摩川の景色
右手は品鶴線(現新幹線と横須賀線)の鉄橋、左手の高い木の所が川崎側の上丸子山王日枝神社、中央の森は川崎側・上丸子八幡町の大楽院です。
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写真左の現在(2013.3.28)
堤防まであった浅瀬は埋め立てられ、グラウンドやゴルフ練習場に。中央の高層ビルは新丸子駅前周辺。
2013.3.28撮影:岩田忠利
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同校開校時の昭和9年、多摩川土手から東方を望む
左手に同校校舎、後方に鵜の木駅。その背後の丘が西峰町や久が原です。
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写真左の位置よりやや北寄りから同方向の現在
手前は同校校舎とテニスコート。後方の緑は西峰町の丘。
2013.3.28撮影:岩田忠利
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昭和9年イチョウの木を植樹したばかりの東京中学通り
鵜の木駅西口から右手に同校校舎を望む。
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写真左と同jじ東京中学通りの現在(2013.4.1)
通りの左側の木が昭和9年に植樹したイチョウ。
撮影:岩田忠利
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昭和9年冬、雪の鵜の木。蒲田行きの目蒲線1両電車。左手に東京中学(現東京高校)
この雪原の撮影場所と思われる地点を探しましたが、今はどこも住宅が密集し遠望が利かず、写真になりませんでした。
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