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大正11年、多摩川園駅前付近の目蒲線敷設工事
撮影:渋沢秀雄さん((田園調布3丁目。田園調布会・会長)
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大正12年目蒲線電鉄の開通直前、会社幹部が試乗
田園都市株式会社の首脳陣が開通前にまず試乗しました。写真は丸子多摩川駅(のち、駅名は多摩川園前駅、多摩川園駅、多摩川駅と名称変更)で下車したとき。
撮影:渋沢秀雄さん((田園調布3丁目。田園調布会・会長)
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昭和3年、屋形船とボートで遊ぶ日本髪の女性達
提供:富川幸一さん(田園調布1丁目)
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昭和3年7月、東京側・川岸の賑わい
この写真は川崎側から望む東京側の風景。夏には川岸には数軒の川魚料理屋が並び、水泳する人たちの海の家ならぬ“川の家”も建ち、今の湘南海岸さながらの賑わいでした。
提供:富川幸一さん(田園調布1丁目)
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昭和5年(1930)と昭和13年(1938)、多摩川園遊園地の空撮
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東急の前身、田園都市株式会社が「温泉遊園地多摩川園」として開園した5年後、昭和5年の空撮
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本誌「とうよこ沿線」の連載「とうよこ沿線物語」著者・前川正男さん(目黒区八雲)は、多摩川園遊園地についてこう書いています。
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ここは、私の娘たちも孫たちも「タマガアエン」と発音する頃から一緒に通った懐かしいオアシスです。いろいろな乗り物に乗って喜ぶ子どもたちの笑顔を見るのが、とても楽しく、財布の軽くなるのも忘れて、カメラのシャッターを押し続けたものだった。
多摩川園は、小林一三が阪急沿線に宝塚新温泉を造って当てたのを、五島慶太が真似して造ったもの。
開園は大正14年12月。昭和54年に閉鎖になるまでの55年間、沿線人はもちろん、ずいぶん遠方からも来園者があった。
はじめは「夢の城」という外装がロココ風の建物で、ペルシャ絨毯を敷き、見事なステンドグラスが天井に輝いていた。浴槽や洗い場は大理石の香水風呂の豪華さ。しかし、これは昭和24年1月、惜しくも焼失した。
さらに宝塚を真似て、多摩川園少女歌劇団「小島座」をつくった。この劇団名は、東横電鉄の役員で五島慶太とともに多摩川園の代表取締役だった渋沢秀雄が付けた。ほかにプール、観覧車、飛行塔、波乗りボート、メリーゴーランド、豆汽車などもあった。予想したほどの繁盛はしなかった。
それでも春の花見と秋の菊人形展は賑やかだった。私も会社の花見に高台の桜の木の下で、桜吹雪を頬にうけながら乾杯したものだった。
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園内に楽しい施設が充実し「夢の城」と言われるにふさわしくなった昭和13年
左の線路が東横線、右は目蒲線(現多摩川線)です。
提供:渋沢秀雄さん(田園調布)
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同園の創設者、渋滞秀雄さんは温泉遊園地の開園当時を生前こう話しました。
「多摩川園内に豊富に湧水する地点がありました。それを利用してミニ宝塚式設備をもうけ「温泉遊園地多摩川園」の名で宣伝しました。そこの浴場・休憩室・遊戯室・食草などを含む本館は「夢のお城」と命名しました。その名前は一般の児童から懸賞募集して名付けたもの。そして食堂には日本画家の小絲源太郎さんの先祖伝来の家業である料理店「揚出し」に出張してもらったのです」。
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昭和15年、多摩川園遊園地入り口
右手の階段を昇り、駅前商店街通りを横断する陸橋を渡り、高さ80尺の鉄塔「タワー」へ行けました。
提供:石川猛雄さん(田園調布3丁目)
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昭和15年、東横線のガード下から見た多摩川園駅前
浴場、休憩室、遊技場、食堂付きの本館は「夢の城」と呼ばれ、温泉気分を味わう客で賑わいました。
提供:石川猛雄さん(田園調布3丁目)
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写真左と同じ場所の現在(2013.3.21)
撮影:岩田忠利
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昭和三十年代の多摩川園
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提供:奥山梶子さん(菊名)
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飛行船乗り場
後方は目蒲線(現多摩川線)です。
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空飛ぶ飛行船
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ペリカンのモニュメント
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前後に揺れる電車
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お猿さんがいるゲージ
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昭和45年当時の多摩川遊園地正門
撮影:渋沢秀雄さん((田園調布3丁目。田園調布会・会長)
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昭和45年、多摩川園前駅の商店街
当時の駅名は「多摩川園前」。駅前の商店街は両側に“鮎焼き”などの土産物店や飲食店の観光客目当ての店が連なり賑わっていました。しかし、レジャーの多様化などで入場者が減少、昭和54年6月に閉園しました。
その後、商店街は活気を失い、駅舎と多摩川線の改築によって片側の商店街は取り壊され、今は往時の面影を忍ぶ程度になってしまいました。
撮影:渋沢秀雄さん((田園調布3丁目。田園調布会・会長)
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昭和32年、ボートで花見
丸子橋の下からボートに乗り、上流の松籟荘の近くまで漕いで来て花見ができました。
提供:小林千恵子さん(世田谷区大蔵)
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昭和40年代、東横線の電車が多摩川橋梁を渡る
渋谷からでも横浜からでも電車が多摩川を渡るときは、視界が一変し気分転換になるものです。
提供:東急電鉄
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昭和32年、多摩川台公園からの多摩川の眺め
蛇行する多摩川の流れは変わりませんが、対岸の川崎市中原区上丸子天神町の河川敷に東急自動車学校の教習コース、その先に新築の昭和電工社宅3棟が見えます。
提供:小林千恵子さん(世田谷区大蔵)
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写真左と同じ方向、上流を見た現在(2013.3.21)
左の写真は高台の多摩川台公園から撮影したものですが、現在の同公園は樹木が生長し撮影スポットが無く、公園下の多摩堤通りで上流と川崎側を撮りました。
撮影:岩田忠利
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昭和43年3月、東急5000形の電車が多摩川園駅に入る
提供:東急電鉄
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昭和43年5月、東急8000形の東横線電車
多摩川園駅(現多摩川駅)を出て多摩川鉄橋を渡って横浜・桜木町駅に向かう。
提供:東急電鉄
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