校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.4
“日本一”のアーケード完成、武蔵小山商店街


   昭和30年、東宝の初上映「ゴジラ」の看板

 看板前、左の男の子は大勝堂の中村博一さんです。
 武蔵小山駅前には「パリー座」と「南星座」という2つの映画館が現在の三菱銀行の所にありました。特撮怪獣映画「ゴジラ」は人気があって超満員。なにしろゴジラシリーズ第1作の観客総数961万人、第3作目が1266万人と大ヒットしたそうです。
 提供:中村博一さん(小山3丁目)


  昭和32年9月、関門通りでの最後のみこし渡御

 新設の広い26号線道路が町内の関門通りを遮断するため、この祭りを最後に関門通りは永久に消えることに。
 提供:藤平省二さん(目黒本町3丁目)











                             
                     
             
未だにその規模“日本一”を誇るアーケード、完成!

                           わが国初の大規模アーケード街、出現!



 第1アーケード工事風景。昭和31年10月撮影

 提供:武蔵小山商店街

★わが国のアーケード街発祥の地は、昭和26年に公道(国道)上130メートルに完成した福岡県北九州市小倉区の「魚町銀天街」といわれています。
 
 パルムは単一商店街としての長さ日本一


 当商店街のアーケード街パルムがこの世に出現して以来、都内に33ヵ所、神奈川県内に11ヵ所など全国に多数の全蓋式アーケートが生まれました。しかし、当アーケード街パルムは、完成以来56年間、「単一商店街としての長さ(約750m)日本一」の記録を保持しています。
 ちなみに「複数の商店街として長さ日本一」は、香川県高松市の高津中央商店街の2.7kmです。



      昭和31年12月10日、駅前でオープニング

 昭和20年5月の空襲で商店街全域が焼土と化して以来わずか11年半、組合員の熱意と総力が国枝四郎理事長ほか役員の強力な指導力を得て凄まじいエネルギーを結実、ついに全国初のアーケード街を実現させました。
 写真は本通りの一部、全長470メートルの第1アーケード完成時。その完成を祝う人の波は、終日商店街を埋め尽くしたのでした

 提供:武蔵小山商店街


 


   最高級車クラウンが当たる昭和32年歳末福引大売出し

 写真は国枝理事長(タスキ掛けの中央)が先頭でキャンペーン中。
 同商店街の工事は以後、第2アーケードから第3アーケードへと進み、最後に銀座通りの第4アーケードが完成したのは昭和56年11月でした。総延長747メートルに約270店舗をすっぽり包み込む「横のデパート」の完成!
 提供:武蔵小山商店街



アーケード完成1周年大売出し

子供に人気のお〜きな縫いぐるみも出動。
提供:木村高雄さん(小山3丁目)











                    
              
目蒲線地下化で大改革、武蔵小山駅


昭和40年、武蔵小山駅ホームにクハ3850形を先頭に3両電車が

撮影:萩原正徳さん(目黒本町5丁目


昭和63年、目蒲線地下化と駅前再開発の“前夜”

撮影:岩田忠利






 写真左の線路の地下化で地上が自由通路の現在

 武蔵小山駅の地下化で駅前の景観が一変しました。
 今までの東口と西口の区分無く、自由に往来できます。地下を走る電車も路線名が「目蒲線」から「目黒線」に、東横線とも武蔵小杉駅でつながりました。急行電車も停車します。三田線など他の地下鉄線とも相互乗り入れになり、以前と比べものにならないほど便利になりました。

 2013.6.6 撮影:石川佐智子さん(日吉)

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