
昭和34年、現鴨居駅東交差点。中央後方は菅田道路
中央の人は写真提供者・柳下勤さんの父・一作さん。
提供:柳下 勤さん(鴨居)
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写真左の現在。後方交差点「鴨居駅東」
2013.10.17 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和35年、旧鴨居小学校(右手が校舎)下の道
提供:黒滝 稔さん(鴨居)
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写真左の旧鴨居小は現在マンションに
2013.10.17 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和40年、鴨居4丁目の杉山神社参道
提供:濱田雪江さん(白山)
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写真左の現在の杉山神社参道
2013.10.17 撮影:石川佐智子さん(日吉)
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昭和46年、鴨居5丁目の山砂採掘現場
左上が現在鴨居中学校。
提供:柳下 勤さん(鴨居)
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珍重された鴨居や白山の山砂
鴨居や白山の丘陵地から出る山砂は、粒子が細かく良質なため道路建設資材として珍重され大量に使われました。
昭和46〜47年の頃、わが国は貿易の国際収支が史上最高の黒字、それに拍車をかけたように田中角栄内閣の日本列島改造論による空前の土地ブームに沸きました。
昭和47年度の高額所得者上位100人中94人が土地成り金。企業の土地買占めが社会問題となる時世でした。
鴨居や白山の丘をブルトーザーが唸りを上げて削るそばから山砂は列をなすダンプに積まれ、東京や横浜の建設現場へと運ばれたのでした。
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昭和51年、鴨居駅方面から望む旧鴨池人道橋
「緑区制3周年記念誌」から
旧鴨池人道橋は都筑区池辺町の日本電気と松下通信工業の社員の通勤のために両社の工事費負担で木造の橋が昭和43年6月に架けられました。
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写真左の現在の歩行者専用、鴨池橋
現在の橋は平成3年3月、横浜市が建設費全額負担で架け替えました。
平成14年 撮影:村野研一さん(鴨居)
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