鴨居駅誕生物語
鴨居駅開業前の鴨居の人たちは小机駅まで4キロ、中山駅まで3.5キロ歩かなければなりませんでした。その道路は蛇行しデコボコ、今とは格段の差でした。「鴨居に駅が欲しい」は、鴨居住民共通の願いでしたが、それを誰一人提唱し運動する人はいなかったのです。
地元青年3人の声
昭和二十年代後半のある会合で、終戦で復員した土地っ子の青年3人が「鴨居にも駅をつくったら……」の意見を述べました。これが起爆剤となって昭和30年、駅建設の運動が一気に盛り上がりました。
当時の鴨居の戸数は農家八十数戸、非農家80戸弱、計160戸足らず。国鉄の試算では建設費は1300万円ほど。
地権者の猛反対で暗礁に、だが…
時の町内会長は建設資金捻出に苦慮し、土地の実測分の余剰を売却するという提案をしました。ところが、地権者が猛反対……。また設置反対派の執拗な運動もあって推進運動は暗礁に。
その3年後、他の町内からの要望や意見もあり、その気運が再燃……。駅設置委員会を組織し本格的に取り組むことに。委員は反対派の説得、建設費捻出方法の検討、関係省庁との折衝などに奔走しました。
全員が本業は農業、農作業を終えた夕食後の会合は毎晩のように深夜に及び、ある委員は体調を崩し入院、加療の効なく亡くなった人も。
難問の建設費捻出に秘策
最大の難問は建設費用捻出でした。でも、委員の熱意が秘策を生み、負担割合を農家とサラリーマン家庭に分け、協力してもらうことにしました。農家は各人の自由意思で所有土地面積に応じて市住宅供給公社に売却しその費用に充当。非農家は応分の寄付をお願いして回り、十数回の分割でも受け付けました。
こうした住民の熱い思いと果敢な行動が10年の歳月を要し、昭和37年12月25日(下の写真)、ついに鴨居駅を実現させました。しかも国鉄からの補助金は1円もありませんでした。鴨居駅は正真正銘の住民“自前の駅”として世の中に登場したのです。
鴨居駅の現在の一日の乗降客数は約7万7千人を超え、横浜線屈指の駅に成長しました。現在はJR長津田駅が管理する“直営駅”となっています。
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