国鉄の補助は1円も無く、住民が建てた鴨居駅



 昭和27年、水田が広がるのどかな光景は現在の駅前

 現在の横浜線線路側から左に旧鴨居小学校、右隣に岩岡商店を望む
今は高層ビルが建ち並び、同方向の撮影はできません。
 提供:柳下 勤さん(鴨居)




  写真上から14年後の昭和41年、鴨居駅前通り

 右手に見える線路手前が鴨居駅。右手の駅前の空き地は現在ホテルなどの高層ビル。
  提供:濱田雪江さん(白山)

 


   鴨居駅誕生物語

 鴨居駅開業前の鴨居の人たちは小机駅まで4キロ、中山駅まで3.5キロ歩かなければなりませんでした。その道路は蛇行しデコボコ、今とは格段の差でした。「鴨居に駅が欲しい」は、鴨居住民共通の願いでしたが、それを誰一人提唱し運動する人はいなかったのです。

 
地元青年3人の声

 昭和二十年代後半のある会合で、終戦で復員した土地っ子の青年3人が「鴨居にも駅をつくったら……」の意見を述べました。これが起爆剤となって昭和30年、駅建設の運動が一気に盛り上がりました。
 当時の鴨居の戸数は農家八十数戸、非農家80戸弱、計160戸足らず。国鉄の試算では建設費は1300万円ほど。

 
 地権者の猛反対で暗礁に、だが…

 時の町内会長は建設資金捻出に苦慮し、土地の実測分の余剰を売却するという提案をしました。ところが、地権者が猛反対……。また設置反対派の執拗な運動もあって推進運動は暗礁に。
 その3年後、他の町内からの要望や意見もあり、その気運が再燃……。駅設置委員会を組織し本格的に取り組むことに。委員は反対派の説得、建設費捻出方法の検討、関係省庁との折衝などに奔走しました。
 全員が本業は農業、農作業を終えた夕食後の会合は毎晩のように深夜に及び、
ある委員は体調を崩し入院、加療の効なく亡くなった人も。


  難問の建設費捻出に秘策

 最大の難問は建設費用捻出でした。でも、委員の熱意が秘策を生み、負担割合を農家とサラリーマン家庭に分け、協力してもらうことにしました。農家は各人の自由意思で所有土地面積に応じて市住宅供給公社に売却しその費用に充当。非農家は応分の寄付をお願いして回り、十数回の分割でも受け付けました。
 こうした住民の熱い思いと果敢な行動が10年の歳月を要し、昭和371225日(下の写真)、ついに鴨居駅を実現させました。しかも国鉄からの補助金は1円もありませんでした。鴨居駅は正真正銘の住民自前の駅として世の中に登場したのです。

 鴨居駅の現在の一日の乗降客数は約7万7千人を超え、横浜線屈指の駅に成長しました。現在はJR長津田駅が管理する“直営駅”となっています。



    昭和37年12月25日、住民“自前の駅”鴨居駅、竣工式を迎えた当日

 水田に小石と砂利を敷きつめて埋め立て、祝いのアーチも杉の葉で作り、いかにも住民手づくりの駅らしさが伝わってきます。
                  提供:柳下 勤さん(鴨居)



開業当時の鴨居駅改札口

提供:柳下 勤さん(鴨居)




現在の鴨居駅

2013.10.17 撮影:石川佐智子さん(日吉)
 
江戸期嘉永5年
(1852)から続き、5度移転の鴨居小


鴨居小のルーツは、この大川私塾であった鴨居6丁目の大川 裕家に遡る

  この写真は、昭和47年9月撮影です。          
提供:大川実さん(鴨居6丁目)

          161年前の大川私塾は…

 大川家の先祖、大川熊太郎氏は江戸後期・寛永5年(1852)から自宅を開放して鴨居村はじめ本郷村、下猿山(白山)、上菅田村などの子弟に読み書きを教えていました。授業料は無く、盆と正月に餅や僅かな心づけを家人が届ける程度だったそうです。
 明治4年に文部省が新設され新教育制度の施行により大川私塾は明治7月そのまま男女児童70名の「鴨居学舎」となり、さらに翌年「鴨居学校」と改称、明治11月まで続いていました。



          大正12年の鴨居尋常小学校新築校舎

 右後方に佐江戸の集落、後方の中山まで一枚の絨毯を敷いたように遮る物がありません。

                                        提供:城田健治さん(東本郷)

 大川私塾が「鴨居学校」として続いた明治11年以降は

 鴨居学校は生徒の増加で校舎が手狭になったため、鴨居村東通リ688番地(現鴨居3丁目12番)に村民有志の協力で「公立鴨居学校」の校舎を新築しました。これが“東通り時代”と呼ばれ、明治414月まで。
 明治40年に義務教育期間が6年に延び、就学児童増で、新治村鴨居中里1161番地(現鴨居4丁目52番)に移転増設した“中里時代”が大正1112月まで続きます。
 こうした変遷を経て大正1112月から昭和41
7月まで横浜線沿いに移転し新築した写真上と写真下の“線路沿い時代”が約半世紀にわたりました。



昭和38年、学校裏をSLの貨物列車が白煙をあげて走る鴨居小学校

提供:柳下 勤さん(鴨居5丁目)


 大正12年(1923)鴨居尋常小学校6年卒業記念

 2列目中央の校長先生が幼い男の子を膝の上に乗せて記念写真。家庭的な温かさを感じさせ、いかにも大正時代らしい。
  提供:城田健治さん(東本郷)


 昭和22年、鴨居小学校卒業生の鴨居青年団

 鴨居青年団が母校で素人演芸会を主催したとき。若い男性が極端に少ないようですが……? 前列中央は青年団団長の黒滝義一さん。
 提供:柳下 勤さん(鴨居5丁目)



現在の鴨居小学校

2013.10.17 撮影:石川佐智子さん(日吉)
   

MAP:鴨居駅地区

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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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鴨居駅と鴨居小学校の草創期