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NO.14 へ


              大正時代の中山駅


                     大正初期の中山駅

私鉄「横浜鉄道(現横浜線)」が開通した明治41年(1908)から5〜6年経った大正初期の中山駅。八王子駅を発つた東神奈川駅行きの汽車が上りホームに入り、線路に下りている駅員とホームで待つ乗客……。下りホームに乗客の姿は見えない。ホームに植えた桜の木もまだ、か細い。
 空がひろ〜く感じられる中山駅の光景です。
  提供:鈴木 交さん(青葉区恩田町)


大正10年、中山駅頭で

駅前の中田屋の皆さん

提供:佐藤フサエさん(寺山町)


      大正時代、中山駅前に集まった人たち

 左側机を出し各家の主人らしき男性たち、右側に巡査と子供たちが集まった大正時代の昼下がり。横浜線開通当時の中山地区の戸数は40戸だそうですが、いったいこれだけ多くの人が何の目的で集まったのでしょうか?

 提供:佐藤フサエさん(寺山町)


大正14年4月、横浜線の電化工事に従事する人たち

 私鉄「横浜鉄道」は大正6年に国有化され、鉄道院「横浜線」と改称されました。
 国は東海道本線を電化するため試験的に横浜線の東神奈川駅〜原町田駅間の電化工事に着手し、写真の大正14年4月、その工事が完了しました。そのときの記念写真です。
  開通時植樹した桜の木が大きく生長しました。

  提供:佐藤フサエさん(寺山町)
     現代の中山駅地区は…… 

 中山駅地区は、南東で鶴見川と恩田川が合流します。中山地区の中央を今から108年前の明治41年(1905)からJR横浜線が走り、中山駅は中山町・寺山町・台村町の3町にまたがっています。 
 駅周囲の道路網は北に県道の青砥・上星川線、南に中原街道の丸子・中山・茅ヶ崎線、駅前通りの南に都市計画道路の幹線の山下・長津田線が通っています。
 
 公共交通機関として平成20年3月30日、東横線の日吉駅〜中山間(13.1キロ)を結ぶ新線、市営地下鉄グリーンラインが開通、都内へのアクセスが一層容易になりました。駅前からは市営と民間バスが絶えず発着し賑わい、中山駅はまさに緑区内の交通の“要塞”です。

 
 道路沿いには商業施設が軒を並べ、緑区最大の商店街に成長しています。地区内には緑区役所・緑警察署・学校・銀行・通信・電力・四季の森などの生活サービス施設が揃い、鶴見川沿岸に工場群もあって内陸工場地帯の一角にもなっています。


            大正時代、駅前の中田屋


        横浜線開通以前、明治30年開業の大正時代の中田屋

 開業当時は一面の田んぼ。それを写真下の初代・佐藤勘助さんが埋め立て、妻・イソさんのために饅頭店を開きました。写真の頃は駅前でお菓子と氷水を商っていました。
 中田屋は中山商店街の“草分げ’といわれていますが、写真をご覧のように田舎道の、文字どおり草分けでした。
 提供:佐藤フサエさん(寺山町)


明治40年、中田屋初代の佐藤勘助さん

 自宅の庭で弓を射る。勘助さんは中田屋を営むかたわら、横浜線開設工事の工事人請負業を兼業していました。
  提供:佐藤フサエさん(寺山町)



大正12年1月2日、中田屋初売りの朝

 店の前に立つのは右から代目・佐藤治平さんの妻・イネさん、治平さん、初代の妻・イソさん。
  
提供:佐藤フサエさん(寺山町)




NO.13
 約100年前、大正時代の中山駅と中田屋

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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

MAP:中山駅地区