今も残るもの



横綱・谷風梶之助の置き土産、手製の馬のワラジと江戸時代からそれを保管していた平本家のケース
 提供:仲丸平八さん(新治町)
 
大相撲史上最強の横綱・谷風の逸話

 
江戸時代後期(175095年)に谷風梶之助という横綱がいました。その谷風と同時に横綱に昇進した小野川との対決は江戸の街を二分するほど人気がありました。とくに谷風は年間、272番の取組中で負けが14番という強豪。彼はその豪腕だけでなく、円満で高潔な人柄とが相まって多くの逸話を残しています。
  谷風が新治村に巡業に来たのは大関時代の天明時代(178188年)。そのとき現新治町の「お頭」という屋号の平本正義さん宅に宿をとりました。帰り際、お世話になったお礼に馬のわらじを自らの手で作って平本家への置き土産としました。  
 その巡業で谷風らが相撲を取った場所は新治町148番地、平本孝さん所有の駐車場となっているが、ここは今も“相撲畑”と呼ばれています。


谷風のふるさと、仙台市青葉区の公園にある谷風の銅像


平成13年今も湧き出る医者いらずの名水

新治町・平本正義さん宅母屋の裏に今も湧き出ている清水。この水を飲むと風邪が治ると伝えられ、昭和の初め頃まで近在の人たちが貰いに来たそうです。
 提供:仲丸平八さん(新治町)



石井憲保家に現存する樹齢600年の大欅
 提供:石井憲保さん(十日市場町)
  
  
珍しいオオタカ、新治市民の森で発見!
 
 オオタカは昔、ウサギやガンなどを捕らえる鷹狩りに多く使われ、飛ぶ速さは水平飛行時で時速80キロ、急降下時には時速130キロにも。近年わが国ではその数がめっきり減り、昭和59年環境省の調査で全国に約400羽とされ、絶滅を恐れた環境省はオオタカを「希少野生動植物」に指定しました。その後、数は急速に回復しているそうです。
 そんなオオタカが大都会、横浜市内にいるとは!? 三脚に400ミリの望遠レンズを付けて新治市民の森で紅葉を撮影中の山中さん、その25メートルほど前方に写真の場面が飛び込んできました。思わず地べたに座り込み、木にもたれかかって夢中でシャッターを切った枚のうちの1枚が写真下のこれ。




平成14年11月21日午後3時半ころ撮影

 旭区若葉台の山中十郎さんが新治市民の森で偶然オオタカがハトを捕らえたシーンに遭遇しました。





オオタカの雄成鳥









 
   
    今はその姿が消えたもの



     十日市場町29番にあった「三角池」

 今は三角形の畑地になりました。

  市都市計画局発行『十日市場区画整理事業』から














      昭和58年、畑の中にあった八幡神社

 日向山神社に合祀され、今は八幡神社の本殿があった場所に宝袋寺本堂が建っています。
  提供:加藤圭一さん(十日市場町)


    昭和51年、現在の十日市場駅北口広場

 中央後方が現在の駅舎、手前の道路は環状4号。右手の祠は環状4号線の交差点「十日市場駅北側」付近にあった佐藤宗十郎家の庚申塚。この祠は昭和55年にダイエーの隣に移築され、その姿はすっかり変わりました。
  提供:石井憲保さん(十日市場町)



       横浜線の線路向こう側の家並み

 手前の電柱下が横浜線の線路。線路向こう側の左手が北口広場の一角、その右から佐藤辰雄家、田中喜久夫家、田中昂一家が並ぶ。どの家もここから立ち退き、移転しました。後方は現青葉区しらとり台

  提供:石井憲保さん(十日市場町)


校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.12 今は無いもの、今もあるもの、その存亡

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