校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.10  霧が谷・新治、風景今昔

昭和43年、森と谷が広がる霧が谷(やと)



                昭和43年、現在の霧が谷2丁目・3丁目・5丁目地域

 中央の白い点線は、現在の環状4号線のルート。手前右に東名高速道路の白い杭、その下に水田、その上の台地に畑が見えます。一軒の人家も無い、森と谷の自然です。

  霧が谷開発委員会発行『事業誌』から



写真上の方向を望む平成14年11月。手前の黒い部分は東名高速の防音壁

撮影:岩田忠利


 昭和43年、現在の環状6号線沿いから霧が谷2丁目を望む

 後方中央茅葺きの家は露木健造さん宅(十日市場町と霧が丘2丁目との境)、後ろが開通直後の東名高速道路です。
  提供:露木健造さん(十日市場町)



写真左と同方向、平成14年10月

撮影:岩田忠利








昭和43年、後方に十日市場市営住宅を望む

撮影地は現交差点「霧が谷」あたりから。

提供:露木健造さん(十日市場町)


     写真左の現在地

4号線の後方に市営十日市場と並んで建つ公団コンフォール十日市場が見えます。

  2013.10.9 撮影:石川佐智子さん(日吉)









昭和50年、現環状4号線のバス停「霧が谷」で稲刈りをする人

提供:露木健造さん(十日市場町)


       写真左の現在地

 環状4号店の交差点「霧が丘公園入口」。
 2013.10.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)






      昭和43年、森の中に弁天様の祠

 ここに昔、一日に水の色が七色に変わった「霧ヶ池」という大きな池があり、それにちなんで町名を「霧が丘」と名づけられました。往時の池の跡は霧が丘4丁目の霧が池公園の近く。
 提供:露木健造さん(十日市場町)









「霧ヶ池」の跡地に案内板
2013.10.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)


跡地に立派な霧ヶ池弁財天の祠
2013.10.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)




昭和43年、稲の掛け干しの棚田が広がる里山の風情

提供:露木健造さん(十日市場町)



      写真左の現在地

 左手は環状4号線の交差点「霧が丘6丁目」。鉄塔の位置は昔のままです。
  2013.10.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)


          平成21年4月、霧が丘6丁目から見る環状4号線の桜

 十日市場駅前の環状4号線から国道16号に抜ける環状4号線の道路両側の桜並木は、約4キロに及ぶ十日市場を代表する桜スポットです。
  撮影:山田紀子さん(都筑区北山田)
 
      
           
新治小学校周辺の景色



昭和40年、中央左右の道の向こう側に新治小が昭和59年移転する

 後方の山は向山。             
提供:仲丸平八さん(新治町



写真左と同位置から平成14年撮影
撮影:岩田忠利










     昭和48年、上の写真と反対方向、旭ヶ丘を望む

手前、稲の切り株がある水田一帯に昭和59年新治小学校の新校舎が建ちます。
   提供:仲丸平八さん(新治町


写真左の旭ヶ丘を望む平成14年

撮影:岩田忠利








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