戦前・戦中の情景



                    昭和6年、下長津田・竹之内用水池の工事

 水は農作物の命、農作物は農民の命。下長津田の人たちは灌漑用の溜池を造るため手に手に鍬やスコップを持って土を掘り起こし、土砂を運んでこんな大きな用水池を造りました。

  JA田奈50年記念誌から


昭和9年4月、写真上の竹之内用水池、完成!

JA田奈50年記念誌から




昭和17年、戦死した故林 平蔵さんの葬儀

提供:林 一さん(長津田町)

  昭和33年から、町角の情景



           昭和33年夏、国鉄横浜線長津田駅桜木町行、上りホーム

東京・横浜郊外の長津田地区への転入者が増えはじめ、朝夕のホームが通勤通学者で賑わってきました。
 提供:小池一夫さん(長津田町)



昭和33年、長津田商店街の駅前通り

街灯が設置され、商店街らしくなってきました。

提供:小池一夫さん(長津田町)


    現在の駅前通り(?)

 駅前にいくつもの商店街の通りがあり、どこが写真左の駅前通りなのか、見分けがつきません。何枚も通りの写真を撮りましたら、写真左の右側手前の「岸田屋酒店」と同名の店が上の写真の左側に写っていましたので載せました。
 正解をお分かりの方、教えていただければ助かります。岩田忠利
  2013.10.3 
撮影:石川佐智子さん(日吉)



昭和33年開港百年祭パレードが御幸通りをゆく

提供:河原一昭さん(長津田5丁目)


       昭和39年、長津田駅と駅前を望む

 右手に北口の改札が見えます。遠望の丘は青葉区の恩田やあかね台方面。

  提供:林 加東さん(長津田町)


       昭和39年の長津田駅前

 手前右がスルガ銀行、左角が河原菓子店、中央に国鉄宿舎。

  提供:林 加東さん(長津田町)


           現在の長津田駅前

 駅前の街並みがすっかり様変わりし、写真左の説明にある建物はいずれも見当たりません。
 写真左の場所をご存じの方、前記の駅前通り同様、教えいただければ嬉しい限りであります。(岩田忠利)
  2013.10.3 撮影:石川佐智子さん(日吉)







昭和39年、246号線王子神社前の新設工事中
JA田奈50年記念誌から



写真左と同じ場所の現在地
2013.10.3 
撮影:石川佐智子さん(日吉)









昭和41年4月1日、田園都市線長津田駅開業

テープカットは東急社長・五島 昇さん(左)

『緑区のあゆみ』から



昭和44年2月の大雪、翌朝の駅ホーム

電車はストップ、ホームで雪だるまを作る駅員。
撮影:千原康夫さん(神奈川区神大寺)


          昭和45年、商店街らしくなった御幸通り

 後方の丘は大石神社。前出の百年祭パレードが行進していた頃の通りが一変しました。

  提供:河原一昭さん(長津田5丁目)


写真左の御幸通りの現在

2013.10.3 
撮影:石川佐智子さん(日吉)










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校正:石川佐智子 / 編集支援:阿部匡宏 / 古写真収集・文・編集:岩田忠利

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NO.2
長津田、昭和時代の情景